●山田宏一セレクション ハワード・ホークス監督特集、および、「ハワード・ホークス映画読本」&「ヒッチコック映画読本」(蔵出し原稿)

2019年04月14日

映画ファンならば既に御存知の方も大勢いるだろうが、山田宏一氏の新著「ハワード・ホークス映画読本」の刊行を記念して、東京は渋谷にある名画座シネマヴェーラ渋谷で、氏のセレクションによる「ハワード・ホークス監督特集」が先週末から始まった。

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つい先だって、同氏が字幕翻訳を手がけた新作映画『ヒッチコック/トリュフォー』(2015 ケント・ジョーンズ)の劇場公開に合わせて、これまた必読、必携の「ヒッチコック映画読本」が新たに刊行され、さらには、ヒッチコック映画の魅力について和田誠氏と縦横無尽に語り合った2009年刊行の対談集「ヒッチコックに進路を取れ」も最近文庫化されて、この年末・年始は、ヒッチコックについて改めて学ぼうと決意している映画好きの人も結構いるかもしれない。そこへさらに、今度はホークス映画の最良のガイド本の刊行と特集上映が重なり、映画ファンにとっては、何とも喜ばしいと同時に、これでは正直、体がいくつあっても足りず、ついつい嬉しい悲鳴を上げざるを得なくなるところだが、ここはぜひ万障お繰り合わせの上、劇場まで足を運んで、ホークス映画の魅力も存分に堪能してもらいたいと思う。


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「ハワード・ホークスとは一目瞭然の映画だ」と、冒頭、山田氏が高らかに断言するところから、「ハワード・ホークス映画読本」は始まる。

  • 「映画」への確信にみちたホークス的な明快さ、明晰さに対しては、いかなる批評的言説も無効のように思える。そこに映画がある、それが映画なのだ、と言うしかない。そして、それだけで充分なのだ。

    映画が映画であるだけですばらしい―それがハワード・ホークスの映画である。

一方、これとちょうど対をなすように、「ヒッチコック映画読本」の冒頭は、『「たかが映画じゃないか」とヒッチコックは言った』という、映画ファンにはよく知られた挿話を紹介する見出しの言葉から始まる。そして、もう少し進んだところで、次のような言葉も出てくる。

  • ヒッチコック映画には、哲学的なテーマとか社会的なメッセージのようなものはなく、ただひたすら人をたのしませようとする芸人根性のようなエンタテインメント精神だけがあふれかえっているのである。

  • たかが映画、それも単なるスリラー映画、サスペンス映画にすぎないけれども、そこに命をかけて、ただひたすらおもしろい映画をつくろうとしたヒッチコックだったのである。

「映画が映画であるだけ」と「たかが映画じゃないか」。周知の通り、「作家主義」の映画批評は、従来、通俗的な娯楽映画の単なる職人監督としかみなされていなかったこの2人、ヒッチコックとホークスを、1950年代、ジャック・リヴェットやエリック・ロメール、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、クロード・シャブロルら、後にヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちとなる若き批評家たちが、共に傑出した芸術家であり、まぎれもない個性と才能を持った「映画作家」として顕揚し、熱烈に称賛・擁護することから始まった。彼らの革新的な「作家主義」の映画批評が次第に世の中に定着するにつれ、それまで不当に過小評価されていた多くの監督たちが「映画作家」として発見・再評価され、なかでもその筆頭代表格たるヒッチコックとホークスは、偉大な巨匠として映画の神殿にひときわ高く祀り上げられることとなったのは、これまたよく御存知の通りだ。

それから既に約60年。いまや、映画好きなら誰もが、ヒッチコックやホークスを当然のごとく神として仰ぎ見て、その映画の物語や主題について微に入り細にわたって饒舌に語り、懸命にあれこれ独自の新解釈を打ち出そうと競い合っているように思える。しかし、トリュフォーやゴダールらともじかに接して、ヌーヴェル・ヴァーグの映画批評の最良の部分を受け継ぎ、ヒッチコックやホークスの映画について、日本のみならず、世界中の誰よりもよく知っているに違いない山田氏(そしてまた、書籍版「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」の共訳者でもある蓮實重彦氏)が、「たかが映画じゃないか」、「そこに映画だけがある」として、映像と映像の間、あるいは作品の背後に何らかの意味やメッセージを読み取ろうとする裏目読み的な見方をきっぱりと斥け、どこまでも具体的なここかしこの場面の細部に着目して、なんとも魅力的で洞察力に富んだ映画批評の仕事をずっと一貫して続けてきたことの意義を、ここで改めて噛み締める必要があるだろう。

「ヒッチコック映画読本」の中に、ジャック・ラカンの精神分析をヒッチコック映画の読解に応用した、スラヴォイ・ジジェクたちによる硬派のヒッチコック論集をいくぶん煙たそうに紹介しているくだりがあるが、ここは以前、山田氏が、文庫「シネ・ブラボー」所収の『E.T.』(1982 スティーヴン・スピルバーグ)論の中で、E.T.とは何か、何のシンボルかをめぐって、さまざまな解釈が成り立つとして、E.T.はキリストである、E.T.はウンコである、E.T.はペニスである、等々、さまざまな珍説を紹介した後、「そういった精神分析学的な解釈もそれぞれ、おもしろく意味のあるものにはちがいない。ただ、ひとつ言えることは、映画のほうが文句なしに、単純明快で、それ以上におもしろいということだ」と書いていたことと、ダイレクトに繋がっているはずだ。

ここで再び「ハワード・ホークス映画読本」の冒頭部分に戻って、「そこに映画がある、それが映画なのだ、と言うしかない。そして、それだけで充分なのだ」とは、なんと単純明快で一見ごく簡単なことのようにも思えて、その実、なんと凛然として厳しい言葉だろう。そしてそれこそが、まさに映画批評の名に値する知的営為であるに違いない。

山田氏の文章は、筆者も学生時分から長年ずっと愛読してきて(たぶん最初に読んだのは、中学生の時に買った芳賀書店のシネアルバム「クリント・イーストウッド」所収のものだったはず)、ホークスやヒッチコック、あるいはまた、ドン・シーゲルやロバート・アルドリッチの映画に通底する倫理的なプロフェッショナリズムというものを、彼らの映画作品の数々、というよりはまず、山田氏の文章を通してあれこれ学んできたつもりではあるものの(とりわけ、『エル・ドラド』(1967 ハワード・ホークス)に登場する殺し屋のクリストファー・ジョージが、敵味方に関係なく、主人公のジョン・ウェインに対してプロとしての仁義(=professional courtesy)を披露する、と指摘しているのを、「走れ!映画」の中で読んだのが、深く心に刻み込まれている)、筆者自身、まがりなりにも批評家のはしくれとして映画の文章を書くようになって以来、はたしてどれだけそれをしっかり遵守・実践できているか、なんとも心許なく、その境地にまではなかなか辿り着けそうにない。

畏敬の念を抱くひとの著書の紹介に続けて、ここで自分の文章を引っ張り出すのは、何ともおこがましくて恐縮至極だが、以前、作家主義の映画批評とホークスの映画全般について書いたもの、それに、ヒッチコックの『裏窓』(1954)について書いた拙文があるので、蛮勇をふるって、ここにアドレスを張っておきます。興味のある方は、どうか寛大なる御心をもって、お読みください。

https://ur2.link/nwmP

https://ur2.link/7S3V

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それから最後に、もうひとつ。このネタをここで披露するのは、さてどうしようかとあれこれ迷ったものの、別に筆者の方で狙っていたわけではないのに、このタイミングで再びホークス特集が開かれるというのも、やはり何かの運命のめぐりあわせかとも思い、そしてまた、「ハワード・ホークス映画読本」の巻末を締め括る(もとは季刊映画雑誌「リュミエール8号 特集 巨匠たちの百年」に掲載された)蓮實重彦氏との対談の中で山田氏が述べている、「ことハワード・ホークスの映画になりますと、どうも冷静さを失うというか、すぐ頭に血がのぼってきて...」という言葉にも後押しされて、前回の話の続きとなる個人的な古傷の思い出話をここで思い切って打ち明けさせてもらうことにしよう。

ホークスの現存する映画作品の中から上映可能なもの38本を一挙に集めて連続上映するという、映画ファンにはまるで夢のような「ハワード・ホークス映画祭」が、東京は京橋のフィルムセンターで開かれたのが、1999年の11月末から2000年の3月の頭にかけてのこと(ちなみに、盛り沢山の内容の充実したカタログの巻頭エッセイは山田氏が書いていて、今回の「ハワード・ホークス映画読本」にも多少形を変えて収録されている)。

当然のこと、筆者は当時、映画欄を受け持っていた光文社の月刊雑誌「Gainer」で張り切ってこれを紹介するつもりでいたところ、いったんはOKの返事をもらっていた「ホークス映画祭」の紹介は取り止めにして、別の新作映画を紹介して欲しいというFAXが突如、深夜に編集部から届いたのだった(当時はまだメールでなく、FAXで原稿をやりとりしていたのが、余計に時代を感じさせる)。そこで断固、抗議の文章をしたためて先方に送り返したのが、以下のもの。

結局、こちらの言い分がどうにか相手にも通じて、筆者は「ホークス映画祭」の紹介記事を無事「Gainer」に載せることが出来たのだった。ふーむ、やはり映画のこと、とりわけホークスの映画ともなると、ついこちらの血が騒がずにはいられない...。


[2016.12.21 旧ブログ「In A Lonely Place」にアップ]