『ハドソン川の奇跡』(2016 クリント・イーストウッド) (蔵出し原稿)

2019年03月17日

今にして思えば、『インビクタス/負けざる者たち』(2009)の劇中において唐突に挿入される波乱のひと幕 ― 長年の投獄生活の末、晴れて自由の身となり、南アフリカ共和国初の黒人大統領に就任したネルソン・マンデラその人も臨席して、1995年、同国のスタジアムで行なわれたラグビーのワールドカップの決勝戦当日、会場の上空に突如ジェット機が出現して、まるでスタジアム目がけて突っ込んでくるかのような低空飛行を繰り広げ、果たしてこれは何ごとか、すわ一大事と、場内を埋め尽くした大観衆や映画を見守る我々観客をも、瞬く間に不安と困惑の渦に巻き込んだ後、実はそれが何を隠そう、自国のチームに盛大なエールを送る南アフリカ人機長のスタント飛行だったことが判明し、誰もが皆、破顔一笑して拍手喝采を送るという、まるで荒唐無稽なギャグマンガのようにも思える珍事 ― は、今回のクリント・イーストウッドの最新監督作『ハドソン川の奇跡』に向けての、はるかに先駆けた予告編だったのかもしれない。

『インビクタス』で描かれるこの出来事を、筆者はてっきり、あくまでも映画の中だけの単なるお遊びと思っていたのだが、IMDBのトリビア情報によると、どうやらこれは、祝賀イベントとしてしっかり計画され、その日実際にお披露目されたものらしい。そして、イーストウッド組のスタッフたちが、この映画の撮影準備に追われていたであろう2009年1月15日、アメリカのNYでは、まさに"ハドソン川の奇跡"が、これまた現実の出来事として起きていた。すなわち、NYのラガーディア空港を飛び立ったばかりの旅客機が、不慮の事態に見舞われて全エンジンが停止するという絶体絶命の窮地に陥る中、沈着冷静なベテラン機長のサリーが、瞬時の判断により、眼下を流れるハドソン川へ機体を不時着させるという最終的な決断を下して、技術的にも極めて困難で、一歩まかり間違えば大惨事になりかねない緊急着水に見事成功。かくして、一名たりとも死者が出ることなく、乗客乗員計155名の命が救われ、無事生還を果たすという、文字通りの奇跡がここに実現したのだった。

無論これだけでも、手に汗握る波瀾万丈のパニック・サスペンス劇と、やれ、めでたし、めでたし...で終わる美談として、誰が撮っても、一本のハリウッド映画を生み出すのにはうってつけの題材であったはずだが、奇跡の生還劇の後になって、あるいはことによると、緊急着水以外にも他の良い選択肢があったのではと、国家運輸安全委員会の事故調査官たちが検証作業に乗り出したことから、極限状況下で機長のサリーが下した究極の決断が再審に付され、彼の英雄的行為自体が疑問視されることによって、ここにいよいよ、イーストウッド的な特色を帯びた人間ドラマが本格的に幕を開けることになる。

果たして彼は、真の英雄か、それとも、そうではないのか? この問いは、イラク戦争において公式記録で160人もの敵を射殺し、米軍史上最高の狙撃手として名を馳せた実在のネイビー・シールズ隊員、クリス・カイルの複雑な人物像に鋭く迫ったイーストウッドの前作『アメリカン・スナイパー』(2014)と、まさに通底するものと言えるだろう。片や155人の命を救った温厚なベテラン機長、他方は160人の命を奪った非情な殺人者=戦争機械と、その人物設定は正反対ながら、両者はまるで鏡に向き合うかのようにして相対している。実際、どちらの作品においても、劇中、ふらりと街へ出向いた各主人公が、見知らぬ他人から声をかけられ、英雄として敬礼される同様の場面があったはずだ。『アメリカン・スナイパー』の主人公カイルが、ネガティブな側面を多く背負った、いかにもイーストウッド的な陰翳と屈折を帯びた主人公だったとするならば、『ハドソン川の奇跡』でトム・ハンクスが演じる主人公サリー機長は、『インビクタス』でモーガン・フリーマン扮する偉人のマンデラに次いで、イーストウッド映画にはきわめて珍しくストレートでポジティブな存在なのだ。

周知の通り、イーストウッドは、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタン3部作(1964-66)に主演した時から、従来の伝統的な西部劇に登場する高潔な正義のヒーローとは程遠く、素性がいかがわしくて善悪のモラルの境界線がはっきりしない、雇われ用心棒や賞金稼ぎといった独自のアンチ・ヒーロー像を新たに切り拓いてきた。彼の"ダーティ"な俳優的ペルソナは、御存知ドン・シーゲル監督の『ダーティハリー』(1971)によって決定的に確立され、以後、イーストウッドが自ら映画作家となった後も、彼本人が主演を兼ねた『荒野のストレンジャー』(1973)や『ペイルライダー』(1985)、『許されざる者』(1992)、『グラン・トリノ』(2008)、あるいは『パーフェクト・ワールド』(1993)のケヴィン・コスナー、『ミスティック・リバー』(2003)のショーン・ペン、『アメリカン・スナイパー』のブラッドリー・クーパー、等々、幾多の作品を通じて、単なる善悪の二元論では割り切れない主人公の曖昧で両義的な人物像を、どこまでも深く掘り下げて描き続けてきた。概してイーストウッド的主人公は、法や正義といった国家的秩序の領域と抵触するダーティな負の要素を多く含み、その陰翳が濃ければ濃いアウトサイダーであるほど、いっそう魅力的に輝いて見えると言えるだろう。

そしてこの時、あくまで自由な一個人として自らの正義と信念を貫こうとするイーストウッド的主人公と、国家や法の論理に則ってそれを規制し、裁こうとする官僚主義的な組織との対立が、前景にせり出すことになる。本作『ハドソン川の奇跡』において、サリー機長と国家運輸安全委員会の面々との度重なる質疑応答が同様の対立の構図を形作ることは、見てたやすいだろう。

いや、それだけではない。無線を介して他の飛行場への緊急着陸を指示する空港管制官の勧告をよそに、あくまで沈着冷静に事態を見極め、これぞ残された唯一の道と最終的な自己決断を下すサリー機長の姿は、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)や『グラン・トリノ』でイーストウッドが自ら演じた主人公や、あるいは『チェンジリング』(2008)のアンジェリーナ・ジョリーが、いずれも、世間的な良識の代表、ないしは超越的な神の代弁者たる善良な神父から、あれこれ有難い説教や忠告、助言を頂戴しながらも、結局のところはそれらを斥けて自らの信じる道を突き進んでいく姿と、つい重なって見える。『チェンジリング』のジョン・マルコヴィッチ扮する牧師を除くと、彼らの役柄が、なぜかいつも外見の似通ったアイリッシュ系の青年によって演じられているのも、単なる偶然とは思えない。

国家運輸安全委員会の事故調査官たちによる検証作業は、突如、待ったなしの極限状況下に置かれたサリー機長が、長年の職務経験の蓄積の末、瞬時に下した決断と実行力と、コンピューターによるフライト・シミュレーションとの比較実験へと最終的に縺れ込むことになるが、そのあたりの終盤の展開は、ここに改めて詳述する必要はないだろう。『スペース・カウボーイ』(2000)の中で、イーストウッドやトミー・リー・ジョーンズ演じるやんちゃな老宇宙飛行士たちが、コンピューターなどどこ吹く風とばかり、自由奔放に振る舞う姿を既に目にしている映画ファンならば、勝負の行く末は充分に予測がつくはずだ。

それに、最後がハッピーエンドで終わることは、既に冒頭の方でも示唆していた通り。『インビクタス』の主人公マンデラが、アパルトヘイト(人種隔離政策)の旧習悪弊のせいですっかり分断化されていた南アフリカ共和国に、平和と統一をもたらしたように、『ハドソン川の奇跡』の主人公サリーは、2001年9月11日に起きた同時多発テロの惨劇の記憶がまだ根強く残っていたNYの町に、明るい希望を灯す象徴的存在となるのだ。「♪ 不思議な力で町中に 夢と笑いをふりまくの~」と、懐かしのTVアニメ主題歌の一節にもある通り、サリー機長は「魔法使いサリー」でもあったのだ!


*映画『ハドソン川の奇跡』のオフィシャル・サイト

https://u0u1.net/4kvG

*繰り返しになりますが、以前書いたイーストウッドのキャリア全般についての拙文は

https://u0u1.net/R2H6

*それと、ウィリアム・ウェルマン、ハワード・ヒューズ、ハワード・ホークスほか、ハリウッド航空映画のタフガイ列伝については、どうかこちらもご参照ください

https://u0u1.net/U22Z


[2016.9.22 旧ブログ「In A Lonely Place」にアップ]