●Secret Behind the Names  ― 『大砂塵』(1954 ニコラス・レイ) について(蔵出し原稿)

2018年11月11日

つい先日、『大砂塵』(1954 ニコラス・レイ)を最新の海外盤ブルーレイで久々にまた見返して、改めてさまざまな刺激と興奮を覚えたので、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(2015 ジェイ・ローチ)の公開などで赤狩りの時代への関心が最近再燃しているようでもあるし、現代においてもなお新鮮な驚きと面白さに満ち溢れ、多くの謎を秘めたこの型破りな問題作について、自分でもぜひ何か語ってみようと、いざぼちぼちこの文章を書き出すうち、至るところで微妙で厄介な難所にぶちあたり、改めて各種資料を突き合わせてみたり、映画をあれこれ見返したりしているうち、文章の長さも執筆に費やす時間も、当初の予定をすっかりオーバーすることになってしまった。それでもなお、言及すべき点がまだまだ残っている感じだが、いつのまにやら1万字を突破してしまったので、いずれまた別の機会があれば、異なる視点、アプローチで、作品論に再挑戦してみることにしたい。それ以前に、はてさて、この長文をどれだけの人に読んでいただけるものやら、何とも心許ないが、興味のある方はどうか、お暇なときに以下へとお進みください。

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『大砂塵』のブルーレイの発売元は、オリーヴ・フィルムズ。同社はこれまでにも、『地獄の掟』(1954 ドン・シーゲル)、『シャーク!』(1969 サミュエル・フラー)、『雨にぬれた舗道』(1969ロバート・アルトマン)、等々、筆者のお気に入りの映画作家たちのレアな作品を他のレーベルに先駆けて数多くブルーレイ化していて、ありがたく利用させてもらってはきたものの、残念ながらそれらは、映像特典やライナー解説等のオマケが何もないシンプルで素っ気ないものが多く、その点、物足りなさを覚えていたこともたしか。それがここにきてようやく同社も、この分野では既に定評のある老舗クライテリオンへの対抗意識が芽生えたのか、「オリーヴ・シグネイチュア版」と銘打って、さまざまな映像特典や資料を盛り込んだ新版のDVD/ブルーレイをリリースすることになり、その第1弾として『真昼の決闘』(1952 フレッド・ジンネマン)と共に満を持して発売されたのが、『大砂塵』という次第。

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● 異色中の異色西部劇

さて、今回装いも新たに発売されたブルーレイに収録されたさまざまな映像特典が、「他に比類なき西部劇」とか「フェミニスト西部劇?」と題され、そして映画評論家ジョナサン・ローゼンバウムのライナー解説の副題が、これまた「最初の実存的西部劇」と名付けられていることからもすぐさま推察できるように、この『大砂塵』は、往年のハリウッドで作られた無数の西部劇の中でも、その奇抜な人物・物語設定、大胆にデフォルメされ、明確に分節化された舞台空間や色彩設計、そしてバロック風の様式美に満ちた演出など、さまざまな点において従来の伝統的なものとは大きくかけ離れた屈指の異色作。何せ、正義の英雄たる男性主人公が、悪役と宿命の対決を行なうのが、長年の西部劇のお決まりの定石たるクライマックスの場面において、この『大砂塵』では、ジョーン・クロフォード扮するヒロインと、マーセデス・マッケンブリッジ演じるその敵対者という、共にどこか魔女めいた中年の女性同士が、周囲の大勢の男たちを巻き添えにしてヒステリックにいがみ合った末、遂には、そんな2人をただひたすら手をこまねいて見守るばかりの彼らを尻目に、一対一の決闘に臨むというのだから、その何とも倒錯的で屈折した内容が窺い知れるというものだろう。



『大砂塵』の初公開時、自国アメリカの映画批評家たちの大半が、その奇妙に歪んだ作品世界に困惑するのとは対照的に、フランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」誌に集った、後にヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちとなる若き批評家たちは、こぞってこの映画を支持し、熱狂的な讃辞を送ったのだった。なかでも最大の擁護者たるフランソワ・トリュフォーの言葉を、ここでは山田宏一氏の「フランソワ・トリュフォー映画読本」から引用・拝借させてもらうと、

  • 「『大砂塵』は、いわゆる西部劇をまったく逆さまにした物語なのです。女のジョーン・クロフォードが拳銃を振りまわして男のようにふるまい、男のスターリング・ヘイドンのほうがデリケートでセンチメンタルで女のようにふるまう。」
  • ― 「アンドレ・バザンは「超西部劇」と呼んでいますね。」
  • 「『大砂塵』は詩的な西部劇なのです。ジャン・コクトーを想起させる唯一の西部劇、感覚とエモーションの西部劇なのです。[...中略...]古典悲劇を見るような、見事に様式化された美しさのある、きわめて特殊な西部劇だと言えます。ハワード・ホークスの西部劇なんかにくらべたら、『大砂塵』は真の西部劇とは言えない作品でしょう。それはむしろ西部劇とは反対の作品です。『大砂塵』は、いうなれば、アヴァンギャルド西部劇なのです。」

 何がジョーンに起ったか? ― 『大砂塵』の映画作りの舞台裏

男勝りのいい年をした女性同士が熾烈でグロテスクな争いを繰り広げた末、一騎打ちの決闘をするという本作の異例のクライマックスが誕生するに至った経緯に関しては、ある時期以降、映画研究者やファンたちの間で伝説的に語り継がれてきた愉快なエピソードがある。既に御存知の方もいるだろうが、やはり無類に面白い話なので、ここで改めてざっと駆け足で辿ってみることにしよう。

この『大砂塵』は、本来、B級専門の映画会社リパブリックが、当時すっかりトウが立ち、人気も落ち目とはいえ、今なおハリウッドの看板スター女優然としたクロフォードを主役に迎え、同社としては多額の予算を注ぎ込んだ野心作として、あくまで彼女主導の下に映画企画が進められた。けれども、いざ映画の撮影が始まってみると、主演女優のクロフォードを差し置いて、先に『オール・ザ・キングスメン』(1949 ロバート・ロッセン)でアカデミー助演女優賞に輝いていた実力派の助演女優、マッケンブリッジが披露する見事な演技に、現場にいたスタッフ・キャスト一同も思わず感嘆して拍手喝采を送るという事態が発生。その様子を目の当たりにしたクロフォードは、猛烈な嫉妬心と怒りに駆られ、その晩、ウォッカに酔って荒れ狂うと、マッケンブリッジの映画用の衣裳を近くの道路上にすっかりぶちまけたという。その波乱のひと幕の背景には、かつてクロフォードが親密に付き合っていた交際相手がいまやマッケンブリッジの二番目の夫となっていたこと、そして監督のニコラス・レイとも一時期、情交関係を結んでいたクロフォードが、自分よりもマッケンブリッジに監督が関心を移したと思い込んだことも大きく作用していた。そしてクロフォードは、自分が主役としてもっと引き立つよう、元の脚本を書き直さない限り、自分はもうこの映画には二度と出ないと頑なに言い張る、切迫した非常事態にまで立ち至ることとなった。

かくして、彼女を想定に物語の原作を書き、脚本の初稿も手掛けたロイ・チャンスラーとは別の新たな人物が、いざという時に頼りになる助っ人の"スクリプト・ドクター"として撮影現場に呼び寄せられ、クロフォードの要望に沿う形で、急遽脚本を書き直すことになった。で、はたして何が気に入らないのか、一体どのようにして欲しいのか、と彼に問われたクロフォードは、「私は男の役がやりたい。画面の端でひとりぽつねんと佇む役は、私ではなくスターリング・ヘイドンにやらせて、私は最後にマーセデス・マッケンブリッジと撃ち合いの決闘がしたい」と昂然と言い放った。あと数週間、撮影を辛抱すれば、あとはもう金輪際、クロフォードと会わずにすむ、ここはどうかひとつ、ぐっとこらえてくれ、という仲裁役も兼ねた助っ人の懸命の説得により、監督のレイもこの案を最終的には渋々受け入れて、『大砂塵』の撮影は無事に続けられ、その後長きにわたって映画ファンの間で語り草となる、女性同士の一騎打ちの決闘という異例のクライマックスが誕生することになったのだった(しかし、クロフォードにとって、実はこの闘いは、まだほんの前座にしかすぎず、その後彼女は、『枯葉』(1956)でも同様に、出演ボイコットをちらつかせながら監督のロバート・アルドリッチに脚本の書き直しを要求し、そして同監督と再び組んだ『何がジェーンに起ったか?』(1962)では、周知の通り、ベティ・デイヴィスと凄絶な女の老醜対決を繰り広げることになる。一方、マッケンブリッジも後年、これまた皆さん御存知のように、『エクソシスト』(1973 ウィリアム・フリードキン)で悪魔の声の吹き替え役を務めることになるのだ。おお、恐ろしや、女の執念!)。

● 謎多き救世主の登場 君の名は...

ここで、スター女優クロフォードのわがままをそっくり受け入れる形で脚本を書き直し、ヒロインの男性化に貢献することで、すっかり泥沼の混乱状態に陥り、下手をすると映画の存立自体、危うくなっていた『大砂塵』の撮影現場を立て直し、皆の急場を救うことになった人物こそ、誰あろう、フィリップ・ヨーダン。はたしてこのヨーダンという人物が何者か、それを改めてイチから説明し出すと、話がまたすっかり長くなって、到底この枠では収まり切らなくなるので、ここはまず何より、上島春彦氏の「レッドパージ・ハリウッド 赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝」をぜひ参照してみて欲しい。同書をじっくり繙くことで、かつては円滑に機能していたハリウッドのスタジオ・システムが折しも崩壊期を迎えて、すっかり箍が緩み、至るところで綻びや機能不全を起こす中、どさくさにまぎれて火事場泥棒よろしく渦中の撮影現場に足を踏み入れては、口八丁手八丁で巧みにトラブルを解決し、ちゃっかり自分の名前と実益だけは得て、知られざる映画史の舞台裏をヌエのように渡り歩いた、"ハリウッド史上最もミステリアスな男と呼ばれる"ヨーダンの何とも不可思議でユニークな映画人生の輪郭が、次第につかめてくるはずだ。

このヨーダンは、同書でも詳述されている通り、世間的にはいちおう脚本家として名が通っているものの、実際には脚本家というよりもむしろプロデューサー的な才能と発想に長けた人物であり、他人に書かせた脚本を自分の名義で発表し、とりわけ赤狩り時代、ハリウッドのブラックリストに載せられた多くの脚本家たちに闇で仕事を回して、彼らの"フロント"を務めていたという意外な事実が、1970年代以降、次第に明らかになってきた。それでも、ヨーダンが脚本家としてクレジットにされた数多くの映画のうち(そのごくわずかをここに並べるだけでも、『犯罪王ディリンジャー』(1945 マックス・ノセック)、『他人の家』(1949 ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ)、『黒い絨毯』(1954 ジョージ・パル)、『暴力団』(1955 ジョーゼフ・H・ルイス)、『最前線』(1957 アンソニー・マン)、『無頼の群』(1958 ヘンリー・キング)、『北京の55日』(1963 ニコラス・レイ)、等々、実に錚々たるフィルモグラフィが出来上がる)、はたして実際にどれを誰が書いたのか、そしてまた、ヨーダン本人はそれらに多少なりとも関与しているのかどうか、その内実に関しては依然なお、多くが謎に包まれたまま、というのが現状だ。

先に紹介したこの『大砂塵』の製作の舞台裏に関する逸話は、フランスの映画評論家ベルナール・エイゼンシッツが1990年に刊行したニコラス・レイの評伝「ニコラス・レイ ある反逆者の肖像」(吉村和明訳)、そして、アメリカの映画史家パトリック・マッギリガンが2011年に発表した本邦未訳のレイ評伝「Nicholas Ray : The Glorious Failure of an American Artist」を参照しながら書き綴ったもの。後者のマッギリガンは、数多くの映画監督やスターたちの評伝執筆に加え、さまざまな映画人たちへの聞き取り取材も数多く手がけていて、1991年には、ヨーダン本人やベン・マドウを含む脚本家たちへのインタビューを集めた「Backstory 2」、さらには、マドウ同様、"フロント"たるヨーダンに自らの脚本を提供した脚本家のベン・バーズマンやバーナード・ゴードンらをはじめ、赤狩り時代の数多くのブラックリスト映画人たちへのインタビューを集めた「Tender Comrades」(ちなみにこの書名は、あのドルトン・トランボが脚本を手がけた本邦劇場未公開の映画(1943 エドワード・ドミトリク)の題名から採られたもの)も1997年に共同で刊行している。

クロフォードがマッケンブリッジを相手に撮影現場で繰り広げた凄まじい対立と確執劇に関しては、当の2人の女優や監督のレイをはじめ、多くの関係者たちの証言や文章が残されていることからも確かな事実といえようが、急遽あとから製作現場に召集されたヨーダンが、クロフォードから「私は男の役がやりたい」云々と聞かされ、それに沿って彼自身が脚本を書き直した云々、という話の肝となる箇所に関しては、2人の評伝作者が各自、後年ヨーダン本人から取材した話に依拠したもの。ただし、既に述べたようにヨーダンは、かくも面妖で謎めいた人物なので、彼の話も真偽のほどは定かではなく、それをそのまま鵜呑みにしていいものかどうか、やはり何とも判断が難しいところではある。実際、エイゼンシッツ自身、ヨーダンの言葉を紹介した上で、二人の女性が最後に決闘を行なう場面は、改変される以前から既に脚本に書き込まれていたことを自著の中で指摘している。

その一方でエイゼンシッツは、この土壇場での改変によって、なんとあの『カサブランカ』(1942 マイケル・カーティス)のプロットがちゃっかり無断流用されて(!)、当初の設定では互いに見知らぬ他人同士だった『大砂塵』の主役の男女、ヘイドン演じるジョニーとクロフォード演じるヴィエナが、実はかつて愛し合った恋人同士だったという設定となり、物語の骨子が彼らのほろ苦い再会劇へと本質的に変化したことが、クロフォードの男性化に大きな役割を果たした、とも述べている。なるほど、彼らが、かつて共に幸福な日々を過ごした思い出のテーマ曲をめぐって、苦悩と憂愁に満ちた愛憎劇を繰り広げるさまは、言われてみればまさに『カサブランカ』風であり、また、よそ者たちの乱入を頑とはねのけて、自らの意志と力で築き上げた根城の店をあくまで平和に保とうと毅然としたポーズを取るクロフォードの姿は、『カサブランカ』のハンフリー・ボガートを彷彿とさせる。

だが同時に、このほろ苦い再会劇という要素が新たに付け加わることによってこそ、この『大砂塵』の中盤の見せ場となる切ない名場面 ― 「俺に何か優しい言葉を言ってくれ。嘘でもいい。この長い年月、ずっと俺を待っていたと言ってくれ」とヘイドンがクロフォードにせがみ、クロフォードが彼の言葉を、感情を押し殺してそのままオウム返しで繰り返すうち、やがて堰を切ったように2人の間で激情が迸り、ついにそこに、ニコラス・レイならではの至純のメロドラマ世界が立ち現れる ― が生み出されたことも事実だろう。

クレジット上では脚本家としてただ一人その名前が載せられているヨーダンの背後に、この映画でも実は別のひそかな執筆代理人がいたのかどうかに関しては、ブラックリスト脚本家のベン・マドウが"フロント"たるヨーダンの影の実作者としていったん名乗りをあげたものの、それを改めてマッギリガンに問い質されて否定、撤回した一件が、先の上島氏の「レッドパージ・ハリウッド」の中でも既に紹介されている。そして、今回発売されたブルーレイ収録の映像特典の一つ、「ハリウッドのブラックリストと『大砂塵』」の中にコメンテーターとして登場する赤狩り研究の専門家で、ドルトン・トランボの最新評伝を彼の息子との共著で発表しているラリー・セプレアも、やはりその件を報告した後、苦笑まじりで確かなことはよく分からないと述べている(なお、この中に登場するもう一人のコメンテーターは、ブラックリストに載せられた自らや仲間たちの実体験をもとに『ウディ・アレンのザ・フロント』(1976 マーティン・リット)の脚本を手がけたウォルター・バーンスタイン)。

『大砂塵』の脚本の真の作者が誰かはともかく、しかしそこには、主演女優のクロフォードだけではなく、監督のニコラス・レイのさまざまな意見やアイディアが盛り込まれていることも疑いの余地はなく、事前に準備された完成台本ではなく、まさに撮影現場でキャストやスタッフも交えて、たえず脚本を書き換え、その場で醸成された親密な、あるいは緊張した空気やエモーションも、いわば一種の切迫したドキュメントとしてキャメラに収めながら、ジャムセッション風に撮影を推し進めるという、『孤独な場所で』(1950)以後、半ば常態化したレイの現場重視の映画作りのスタイルが、この場面にも大きく反映されていることは、やはり間違いないように思える。『孤独な場所で』の主役の男女、ハンフリー・ボガートとグロリア・グレアムが繰り広げる悲恋のドラマに、レイが彼自身とグレアムの結婚生活の破綻を投影させたように、ヘイドンとクロフォードが取り交わす再会劇には、レイ自身とクロフォードとの過去の恋愛体験が複雑な影を落としていると言えるのではないだろうか。

ちなみに、名前と、それが指し示す実体との乖離・不一致ということでいえば、『大砂塵』に登場する主要人物の役名自体、クロフォード演じるヒロインのヴィエナ(=ウィーン)やマッケンブリッジ扮するエマ(ひょっとするとこの名には、あの「ボヴァリー夫人」の倦怠と欲求不満が暗に込められているのだろうか)など、およそ西部劇には似つかわしくない人名が数多く出てくるのも、この映画の不思議な特色の一つ。とりわけ、物語の前半部で「お前は誰だ?」と問われた主人公のヘイドンが「ジョニー・ギター」と答えると、「そんなの名前じゃない(That's no name)」と、そういう彼自身、妙な名を持つダンシング・キッドから、すっかり呆れ顔をされるものの、物語の後半になってジョニーの本名が明らかになると、そこでまたガラリと彼の表情が変わるというくだりは、今日あらためて見返すと、ほとんどヨーダン(あるいは、彼の名を借りた誰か)の楽屋落ちのジョークか、挑発的な謎かけのようにも思えてくる。

● Save yourself

さて、この映画が、名前というものに対するきわめて自己言及的な問題意識を持った作品であることを指摘したところで、この拙文もいよいよ最後の山場へと向かうことにしよう。『大砂塵』といえばやはり、当時、全米で猛威を振るった赤狩りの悪夢と狂気を最も苛烈にスクリーンに描き出した映画の1本として、その核心部分に触れないわけにはいかない。それを最も象徴的によく表した登場人物は、言わずと知れたマッケンブリッジで、猛然と吹き荒ぶ風や砂嵐、そして町の保安官や自警団を背後に引き連れて、クロフォードの根城にして聖域たるサルーンに暴力的に押し入り、本来、法の番人たる保安官を差し置いて、赤狩り=魔女狩りの扇動者よろしく、いわれのない罪をクロフォードに着せて糾弾した上、私的制裁で縛り首にしようとする彼女の狂信的な姿を見れば、一目瞭然だろう(やがて、クロフォードの店に火を放ち、あたりが地獄の業火に包まれる中、ひとり恍惚と歓喜の表情を浮かべる彼女の様子は、マッケンブリッジ自身がさながら魔女と化したかのようだ)。

とりわけ、皆揃って黒い喪服をまとったマッケンブリッジと男たちが再びクロフォードの店に押し入って、こちらは純白のドレスに身を包み、一見平静を装いつつ中でピアノをひとり静かに演奏するクロフォードと対峙した末、店内に隠れ潜んでいた銀行強盗一味の傷ついた少年を見つけて引きずり出し、強制尋問にかける場面の生々しい切迫感が、何とも凄まじい。マッケンブリッジは、ただもう怯えて震えるばかりの少年に、クロフォードも仲間の一人だったのだろう、さあ、どうなの? と嘘の自白を強要し、一体どうすればいい、俺はまだ死にたくない、と少年が命乞いをするようにしてクロフォードの方を振り向くと、そこでクロフォードは、諦めと憐みの入り混じった神妙な表情を浮かべて「ご自分の命を救いなさい(Save yourself)」と彼に冷ややかに告げるのだ。かくして少年は、自分が助かりたい一心から、観念したようにクロフォードも強盗一味の仲間であったと頭を垂れて頷き、偽証をするものの、結局のところは、彼もクロフォードと一緒に捕らわれの身となり、いざリンチにかけられるはめになる。

この戦慄的な場面には、赤狩りの時代、共産主義者やそのシンパを探し出して排除すべく、標的とした人々に証言を強いて、かつての仲間や友人を裏切り、彼らの名前を挙げて密告する(naming names)ようにけしかけた、中世の異端審問さながらの、下院非米活動委員会の証人喚問の卑劣なやり口が、明白に重ね合わせられている(赤狩り時代のハリウッドの歴史を、「ハリウッド・テン」の連中をはじめ、赤狩り禍に遭ってブラックリストに載せられた映画人たちが関わった数多くの映画作品からの抜粋場面と、リング・ラードナー・ジュニア、エイブラハム・ポロンスキーらへのインタビューを通して綴った秀作ドキュメンタリー『Red Hollywood』(1996 トム・アンダーセン&ノエル・バーチ)は、まさにこの『大砂塵』の切迫した場面の引用から始まる)。

あるいは、この場面に先立って、物語の序盤、流れ者のギター弾きとしてサルーンにやって来たヘイドン扮するジョニーが、「男にはどこか根を下ろす場所が必要だ。ここはどうやら静かで良さそうだ」と言って、一拍置いた後、さらに「友好的でもあるし(friendly, too)」と付け加える台詞も、当然聞き逃すわけにはいかない。下院非米活動委員会に協力して共産主義者やそのシンパたちの名を挙げた証言者のことを友好的証人(friendly witness)と呼ぶが、第2次世界大戦中、志願兵となってヨーロッパで反ファシストのパルチザン活動に身を投じ、戦後、共産党員となった経歴を持つヘイドンは、1951年、下院非米活動委員会に召喚されて共産党員の元同志エイブラハム・ポロンスキーらの名前を挙げ、まさにその友好的証人の一人となる道を選んでいたからだ。ヘイドンはこの時の体験を自ら恥じ、以後、ずっと自己嫌悪に悩まされることになったと、後に自らの回想録で告白している。

そして、公にはあまり広く知られていないが、実は何を隠そう、監督のニコラス・レイ自身、下院非米活動委員会からの追及を受け、どうやら水面下の非公式な形で、秘密裡に彼らと接触し、取引をしていたらしい形跡がある。1930年代半ばのニュー・ディール期に、イリア・カザンや、レイとは同郷のジョーゼフ・ロージーらと共にNYで左翼演劇活動に従事し、やがて共に2歳年長の彼らの後を追うようにして、第2次世界大戦中、映画界に足を踏み入れたレイ。青年時代、共産党、そしてさまざまな左翼的組織への所属に関して疑う余地のない過去を持つ彼が、映画監督デビュー作の『夜の人々』(1948)を撮り上げた後、変わり者の大富豪で悪名高い反共主義者でもあったハワード・ヒューズに買収されて、その支配下に置かれることになった映画会社RKOにおいて(ほぼ同時期に『緑色の髪の少年』(1948)で長編監督デビューしたロージーが、同社を追われるようにして去り、やがて1950年代に入ると、赤狩り禍でヨーロッパへ亡命することを余儀なくされるのとは対照的に)、ブラックリストに載せられたり、下院非米活動委員会で公的な証言をする必要に迫られることもなく無事に済んだのは、一体なぜか。それは、理由や詳細ははっきり分からないが、絶大な政治力を持つヒューズの庇護のおかげであり、レイ自身、ヒューズにはたえず感謝の意を表明していたと、既に紹介済みのレイの評伝「ニコラス・レイ ある反逆者の肖像」の中でエインゼンシッツは、その何とも気にかかる謎めいた一件について、慎重に書き綴っている。

  • 「とはいえ、間違いなく彼は、私的なかたちで証言をおこなうか、かつて運動に参加したことを説明する手紙を書くか(あるいはその両方とも)しなければならなかったはずだ」として、エインゼンシッツはさらに、レイがある日、当時もう既に離婚していた最初の妻ジーン・エヴァンズに対して奇妙な告白をしたという話を、彼女の証言に従って、次のように書き記している。「彼が言うには、証言をしなければならなくなったとき、『青年共産主義同盟』に参加したのは、わたしに誘われてだって主張したというんです。これは真っ赤な偽りです」。(同書 P198)

赤狩りの時代におけるこの何とも重大でデリケートな問題を孕んだマル秘情報に関しては、マッギリガンも、彼が新たに書き綴ったレイ評伝の中で再度取り上げて検討し、レイが1950年の晩冬から1951年頃にかけて、下院非米活動委員会と非公式に接触して証言を行ったのではないかと踏み込んで推測しているが、それを裏付ける確たる証拠は見つかっていない。そして、さしたる重要なケースとはみなされなかったのか、それともヒューズの堅いガードのおかげか、はたまた、これはやはりはじめからなかったことなのか、レイが下院非米活動委員会の追及の前に身を屈して証言をしたというニュースは、外部に漏れて業界紙の見出しやゴシップ・コラムを賑わすことは一切なかった。さらには、1952年、下院非米活動委員会の聴聞会において、友好的証人としてかつての共産党の同志たちの名を挙げた上、弁解がましい転向声明書を発表し、以後、裏切り者としての悪評と非難が生涯にわたってつきまとったカザンのような悲劇的事態が、その身に降りかかることもなく、レイ自身、この件に関してあえて口を開くこともないまま、1979年、波乱に満ちた傷だらけの映画人生に幕を閉じた。

ただ、それでも、エヴァンズ本人がエイゼンシッツに語った上記の一件、すなわち、赤狩りの時代、レイが自らの生き残りのため、元の妻の名前を下院非米活動委員会に売り渡して、虚偽の証言をしたという、何とも意外で驚くべき話が、ずしりとした言葉の重みと切実さを伴って、今日我々の前に残されている。そしてここから翻って、また改めて『大砂塵』の先述の場面を見返すと、お互いに首の皮一枚で繋がった少年とクロフォードとの切羽詰まったギリギリのやりとりが、より一層の生々しさと痛ましさ、そして何より迫真の臨場感と共に、観る者にひしひしと伝わってくるに違いない。

 

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*なお最後になりましたが、今回のオリーヴ・フィルムズ発売の『大砂塵』のDVD/ブルーレイの映画評論家ジョナサン・ローゼンバウムによるライナー解説が、既に彼自身のサイトにアップされて閲覧可能になっているので、興味のある方は以下をどうぞ。

https://qq2q.biz/NoLS 


*それから、また繰り返しになりますが、筆者が以前書いた、このブログの名前にも拝借したニコラス・レイの映画『孤独な場所で』(1950)に関する拙文は、こちら。

https://qq2q.biz/NoM3 

*『枯葉』(1956)、『何がジョーンに起ったか?』(1962)と、ジェーン・クロフォードのその後のバトルにも触れた、ロバート・アルドリッチに関する拙文は、こちらをどうぞ。

https://qq2q.biz/NoM6 


[初出 :2016.10.15   拙ブログ「In A Lonely Place」にアップ]