●2つの「アメリカ」同士の闘い  ― 2020米大統領選挙、および、『誰が撃ったか考えてみたか?』(2017 トラヴィス・ウィルカーソン)

2020年11月13日

  •  あらゆるものに数がある。正義に数があり、欲望に数がある。貪欲にも裏切りにもそれぞれの数がある。だが貪欲や裏切りがたくらまれた瞬間、そこにはもう数がなくなってしまうが、私たちが手にし、失う、その量を示す数は残る。ただし、それは夢みる人びとの国での話だ。この国で夢みる人びとは、正義と欲望が数と同じくらい確かだという夢をみる。不眠症の国では正義も欲望も単なる夢にすぎず、捨て去られるのがオチだ。私は最初の国で生まれ、二番目の国に帰った。両方とも同じ一つの国なのだ。その名はいうまでもない。  

  •        スティーヴ・エリクソン「ルビコン・ビーチ」(島田雅彦訳)


ここ最近、仕事の合間を縫って、アメリカの大統領選挙の勝敗の行方を見守るのについ時間を費やして、ブログの更新をするまでに、またもやひと月近くが過ぎてしまった。

皆もよく知る通り、今回の選挙では、共和党候補の現職大統領ドナルド・トランプと民主党候補ジョー・バイデンとの一騎打ちの争い、というより、やはり何とも異常で常軌を逸したとしか言いようのないトランプ政権の唯我独尊的で横暴な政治手法が、今後の4年間も継続されるのかどうかをめぐって、熱狂的なトランプ支持者たちとその反対者たちとの間で激しい接戦が繰り広げられ、そこへさらに、コロナ禍による郵便投票の増大による集計作業の遅れが、両者の勝敗の行方が終盤までもつれるのに一層拍車をかけることとなった。

既に周知の通り、最後のギリギリまでもつれこんだ混戦は、開票から4日も経った現地時間の11月7日(日本では8日未明)、残る激戦州のペンシルヴェニア州をバイデンが制して、彼の次期大統領の当選が確定。新政権への移行に向けて、バイデン陣営が準備の動きを加速化させている一方、トランプ側は選挙の不正を訴え、なお徹底抗戦の構えを崩していないが、はたしてその悪あがきがこの先どれだけの支持を集め、一体いつまで続くことやら。

以前、拙ブログで、筆者が愛読する現代アメリカ文学の作家のひとりとして、スティーヴ・エリクソンの名前を挙げ、2016年に邦訳が刊行された彼の映画小説「ゼロヴィル」とその映画化の話を紹介したことがあるが、

https://bit.ly/3phCpvs

今回の拙文の冒頭に引用したのは、1986年に原書が発表され、日本では1992年に邦訳書が刊行されたエリクソンの長編小説第2作の「ルビコン・ビーチ」(2016年になってようやく文庫化もされた)。

同書の訳者あとがきで、島田雅彦氏は次のように書いている。

  • 『ルビコン・ビーチ』には、「アメリカ1」と「アメリカ2」といった奇妙な用語がコンテクストを突き破って現れる。どうやら、今現にアメリカで暮す人々の常識が全く通じないもう一つのアメリカがあるらしい。空間のよじれに迷い込んだ者だけが体験できる不思議なアメリカがあるのだ。まさに他者と素手で向き合わなければならないアメリカだ。

島田氏は、さらにその先で、「共同体のアメリカと他者しかいないアメリカのあいだには境界なんてない。二つの世界は複雑にからみ合い、互いを侵食し合っている」とも述べているが、今回のアメリカ大統領選挙を通じて世界中が目の当たりにし、改めて深く痛感させられたのは、エリクソンの鋭敏な文学的感性がいち早く察知・幻視したこの2つの全く相異なる「アメリカ」同士が、小説世界における作り事などでは決してなく、まさしくこの世において真っ向からぶつかり合う苛酷な現実だったと言えるだろう。

ちなみにエリクソンは、1988年のアメリカ大統領選挙を取材して、独自のルポルタージュ「リープ・イヤー」を翌年発表(邦訳書の刊行は1995年)しているし、1996年にもやはり大統領選挙を取材し、翌年、同種の「American Nomad」を発表している(本邦では未訳だが、彩流社から刊行された「現代作家ガイド スティーヴ・エリクソン」などに、その部分訳が掲載されている)。

さらに彼は今年の9月、「LAマガジン」誌に長年連載しているコラム記事の中で、これまでTVや映画に登場してきたさまざまな架空のアメリカ大統領たちと引き比べながら、トランプの大統領職は、ハリウッドが編み出してきたいかなる絵空事よりも不可思議で、現実と、民主主義(democracy)ならぬとち狂った民主主義(democrazy)によって我々に与えられた、これほどいかれて愚かで冷笑的な大統領は、最も熱に浮かれたハリウッドの想像力さえ、到底考えつかないほどだ、と述べている。興味のある方は、以下の英文記事をどうぞ。

https://bit.ly/32wzUeY

とはいえ、我々も、これをあくまで対岸の火事として、単に面白可笑しがって高みの見物を決め込むわけにもいかない。現に日本でも、同様の嘆かわしい状況は至るところで目につくし、そしてまた、2015年に刊行された痛切極まりないアメリカ批判の書「ジェロニモたちの方舟 群島-世界論〈叛アメリカ〉篇」の中で、今福龍太氏が次のように書き綴っている。

  • 〈アメリカ〉とは外部にある他者でもなく、ただ否定すべきテーゼというわけでもない。いまや現代世界の誰もが自己の一部として〈アメリカ〉を生きざるを得ないという宿命。それを自覚したうえで、自らの内部に一人の叛乱者ジェロニモの末裔を想像すること。このジェロニモたちの操る方舟こそが、大陸原理からの離脱と叛乱の自覚的根拠として、群島-世界の未来を約束するであろう。


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さて、今回のアメリカ大統領選が、バイデンの勝利という形でいちおうの決着を見、当面の仕事の山もどうにか片付けて、多少は時間的余裕ができた後、筆者は、これまた先に拙ブログの中で、ぜひ早いところ見てみたいと紹介した最新の音楽映画『American Utopia』(2020) ― 才気溢れるミュージシャン、デイヴィッド・バーンが、同題のソロ・アルバムをもとに、それを自らステージ・ショーに仕立て、ブロードウェイで連続上演されたライヴ・コンサートの模様を、スパイク・リー監督が改めて映画化したもの ― が、

https://bit.ly/3prv38L

アメリカのケーブルTV局、HBOでいよいよ配信が始まり、しかも、通常は有料の同局のプログラムが、1週間は無料でお試しがきく、という説明書きを見つけたので、本来ならば最上の音響装置を備えた劇場で見るのが一番、と思いつつも、やはりタダで見られるという甘い誘惑には抗えず、これはもう試すしかないでしょ、と、喜び勇んで配信のボタンをクリックしていざ先に進んでみたものの......残念ながら、どうやらアメリカ国外の地域では視聴することができないのであった...。嗚呼!

https://itsh.bo/2IrHrEP


ところが、奇しくもその日、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の延長戦という形で、東京で始まった「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形 in 東京2020」のプログラムの中から、さしたる予備知識もないまま、でも結構面白そう、と独自の嗅覚を働かせて劇場まで観に出向いた映画の中に、『American Utopia』でもハイライトの一つとなっているはずの曲「Hell You Talmbout」が実に効果的に用いられていて、その予期せぬ偶然に、思わずおおっ! と驚くこととなった。と同時に、この作品自体、ここまで書き記してきた、昨今の2つの「アメリカ」の分断と対立をまさに体現する、何ともヘヴィーで衝撃的な映画に仕上がっていて、これはぜひ今回、このブログで採り上げて紹介しなくては、と思い立ったような次第。それが、『誰が撃ったか考えてみたか?』(2017 トラヴィス・ウィルカーソン)というドキュメンタリー映画。


この作品はまず、映画『アラバマ物語』(1962 ロバート・マリガン)を紹介するところから始まる。アメリカ南部出身の女性作家ハーパー・リーが自らの生まれ故郷アラバマの架空の町を舞台に書き綴った、ピューリッツァー受賞の同名ベストセラー小説に基づいて作られたこの映画は、白人女性に対する性的暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護を引き受けた白人弁護士が、周囲の根深い人種的差別と偏見を敢然とはねのけて公明正大に事件の裁判を推し進めるさまを良心的に描いた、社会派ドラマの名作として有名。グレゴリー・ペックが演じた白人弁護士の主人公は、映画の中ではどこまでも誠実で高潔な正義のヒーローとして描かれ、ペックがその年のアカデミー主演男優賞に輝いたのみならず、2003年にアメリカ映画協会(AFI)が選んだ、アメリカ映画100年におけるヒーローと悪役ベスト100において、ヒーロー部門の第1位の座を見事獲得した。

監督のウィルカーソンは、自らのナレーションで、映画『アラバマ物語』のことをかいつまんで紹介した後、引き続いて、彼が今回の自らの映画を作るに至るきっかけとなった、一見前者と似ているようで実は対極にある、別の知られざる話について語り始める。「いいか、信じてくれ。これから私が話すのは、もう一つの白人の救世主の物語なんかじゃない。白人の悪夢の物語なんだ」と。

そこで語られるのは、物語の舞台は同じアラバマでも、架空の町で起きた作り物の綺麗ごとの世界などではなく、第2次世界大戦後間もない1946年、ドーサンという小都市で実際に起きた、ある忌まわしい事件のこと。この地で食品雑貨店を営んでいたS・E・ブランチという名の白人男性が、ある日、店の中でビル・スパンという黒人男性を撃ち殺し、ブランチは殺人罪に問われたものの、正当防衛が認められて無罪放免になったという。実は、このブランチという白人男性は、ほかならぬ監督自身の母方の曽祖父だった。

ウィルカーソン監督の手元には、まだほんの幼い彼がこの曽祖父と一緒に写った写真が一枚だけあり、この写真を撮った年にこの世を去った曽祖父のことを、彼自身は記憶していないものの、それなりに裕福だったこの曽祖父は、家族や友人たちを撮った数多くのホーム・ムーヴィーを残していた。一方、殺された黒人のことを記録したドキュメントは、事件のことを報じた幾つかの新聞記事や、一通の死亡証明書をのぞくとほとんどない。

「2つの家族がアラバマに住んでいた。片や、白人で殺人者の家族。他方は、黒人で殺された犠牲者の家族」と、ここで再び、ウィルカーソン監督は、同じ地域に住みながらも全く対極に位置する2つの家族を並置し、一見平和で家庭的なブランチ家のホーム・ムーヴィーの断片を流しながら、その映像に被せて殺された黒人スパンの死亡証明書の文面を事務的に淡々と読み上げ、両者を隔てる絶対的な距離を、鋭いアイロニーで浮き彫りにしてみせる。

そして、この事件の真相を改めて探るべく、ウィルカーソン監督は20年ぶりにアラバマの地を訪れて、いまや半ば忘れ去られたかつての事件の記憶や、自らの先祖たる曽祖父が、まぎれもない黒人差別主義者であったのみならず、家族に対してもDVや性的虐待を働いていた忌まわしい過去の事実を掘り起こし、今なおこの地周辺に連綿と続く人種差別の実態を、抑制されたタッチで静かに、しかし怒りを込めて痛切に告発していくのである。

徐々に明かされていく、なんともダークで陰鬱な話の内容に見合うかのように、端正な構図で撮られたモノクロ映像や、先に名を挙げた映画『アラバマ物語』の引用場面には、時に血塗られたような茜色の染色加工などが施され、より一層不気味で重苦しいムードを観る者に与えると同時に、人種差別をはじめ、さまざまな社会的不正に対し、抗議の声を上げるプロテスト・ソングが随所で効果的に用いられているのも、この『誰が撃ったか考えてみたか?』の大きな特色のひとつ。

先に、『American Utopia』の中にも登場する「Hell You Talmbout」という曲の名前を挙げたが、この曲はもともと、今日のアメリカきってのユニークな個性派シンガー&女優として活躍するジャネール・モネイが、自らのレーベルに所属する仲間たちと共に作り上げた現代のプロテスト・ソング。白人警官らによる不当な暴力や人種差別によって殺害された黒人の犠牲者たちの名前を、強烈なパーカッションのリズムに乗って次々と連呼していくこの曲は、人々の共感と支持を広く集めて「Black Lives Matter」運動を支える応援歌のひとつとなり、『American Utopia』では、それに賛同するデイヴィッド・バーンたちによってカヴァーされることにもなった。

いまやYouTube上には、モネイやバーンをはじめ、この曲のさまざまな動画がアップされているが、ここではやはり、『誰が撃ったか考えてみたか?』の中で使用されたモネイらによるヴァージョンを、「BLM」運動の歩みが一目で分かる以下の動画でご覧頂くことにしよう。

https://bit.ly/36AOZ0i

ほかにも、『誰が撃ったか考えてみたか?』の中では、かつてアラバマの地でも盛んだった白人至上主義団体KKKの活動について言及する場面において、ビリー・ホリデイが歌う、あのあまりにも戦慄的で痛切なプロテスト・ソングの歴史的名曲「奇妙な果実」が、音声も映像もあえてくぐもったような、奇妙にざらついた感触を伴いながら引用されたり、そしてまた、人種隔離に対する抗議活動のさなか、1963年にアラバマの地で凶弾を浴び、暗殺された白人活動家のことを歌ったフィル・オクスのフォーク・プロテスト・ソング、「ウィリアム・ムーア」などが効果的に用いられている(ちなみに、映画『誰が撃ったか考えてみたか?』の題名は、このオクスの曲「ウィリアム・ムーア」の歌詞の一節から採られたもの)。というわけで、2曲続けてどうぞ。

https://bit.ly/36CUZpE

https://bit.ly/3nkS4IN


『誰が撃ったか考えてみたか?』の東京での上映は、11月19日にあともう1回ある。「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形 in 東京2020」ではほかにも、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の最優秀賞を受賞した『十字架』(2018 テレサ・アレドンド&カルロス・バスケス・メンデス)や、同審査員特別賞を受賞した巨匠フレデリック・ワイズマンの『インディアナ州モンロヴィア』(2018)をはじめ、数々の注目作の上映プログラムが組まれているので、映画ファンの方にはぜひとも足繁く会場に通うことをお勧めしたい。