●追悼 和田誠

2019年10月15日

映画ファンにはお馴染みの才人・和田誠氏が、去る10月7日に死去したとの訃報が、11日になって伝えられた。享年83。

  •  近年は「マルチタレント」という形容が軽々しく使われすぎている感があるが、和田誠こそ、真にその名前にふさわしい人。本職はイラストレーターだが、本の装丁、エッセイ執筆、舞台演出、作詞、作曲、映画やアメリカの古いポップスやジャズにも造詣が深く、下手なその道のプロが尻尾を巻いて逃げ出すほど。そして映画監督。バブル以降、異業種監督が多く誕生したが、監督であり続け、またそれに耐えうる力を持っているのは、北野武と彼ぐらいなものだろう。

と、1996年末に刊行された「映画監督ベスト101 日本篇」の中で、同氏について、木全公彦氏がその多彩なプロフィールを手際よく紹介し、その時点までに発表された彼の映画監督作についても的確な内容紹介をした上で

  •  映画について書かれたエッセイも数多くあるが、特に映画の名セリフを集め、イラストとエッセイで編んだ「お楽しみはこれからだ」は、映画ファン必携の名著。

と最後に書いてこの項目を締め括っている。

1965年生まれの筆者にとっても、和田誠という人物は、長編劇映画の第1作『麻雀放浪記』(1984)で本格的に監督業に乗り出す以前から、「お楽しみはこれからだ」シリーズや山田宏一氏との対談集「たかが映画じゃないか」などで、豊富な映画鑑賞体験に裏打ちされた、映画に関する幅広い知識・蘊蓄をどこまでも楽しそうに披露しながら、軽妙な文章を書き、話を面白く物語るだけでなく、その独特の筆遣いでサラリと似顔絵も描く芸達者な才人としてその名を最初に覚えた記憶があり、中学から高校、大学と進むにつれ、筆者自身、映画好きの病がいよいよ嵩じていく時分に、間違いなく大いに感化され、影響を受けた、我が映画人生における大切な師のひとり。

映画のタイトル・デザインの面白さや、その第一人者であるソウル・バスの名前を最初に教わったのは、和田氏の文章を通してだったし、ミュージカル映画の楽しさを教えてくれたのも、やはりそう。既に多くの人も知る通り、和田氏自身、フジテレビの映画放映番組「ゴールデン洋画劇場」のオープニングの短編アニメの監督を手がけているので、そちらをご覧になりたい方は、以下をどうぞ。

https://bit.ly/2nMDG2Y

阿佐田哲也の同名小説をもとに、ギャンブルを通して人生の修業も積んでいく青年主人公の成長を、端正なモノクロ映像でスリリングに描いた名作『麻雀放浪記』。そして、前作に続いて主演を務めた真田広之が、こちらでは意外にも三枚目のコミカルな演技を披露すると同時に、ヒロイン役の小泉今日子が最もキュートでチャーミングに輝いていた軽妙洒脱で洒落たロマンチック・コメディの会心作『快盗ルビイ』(1988)は、学生時代に喜び勇んでロードショー館へ観に行って、たちまち好きになった映画のひとつ。

そういえば、これは和田氏の監督作ではないが、大学在学中、所属していた映研の学園祭で、その頃新進気鋭の注目株だった森田芳光監督が夏目漱石の同名小説を映画化した当時の最新作、『それから』(1985 森田芳光)の宣伝を兼ねた上映会が催された際に、「お楽しみはこれからだ」をもじって、「お楽しみは『それから』だ」というキャッチフレーズを、若き日の自分がひねり出したことを、今ふと思い出した(いかにもベタでありがちな文言で、今となってはかなり気恥ずかしい...)。

それから、筆者にとって、和田氏は、本の装丁の仕事でも、数々の映画本と引き合わせてくれた大切な恩人。著書「装丁物語」の中で、自身が手がけた映画の本の装丁の仕事について、氏は1章分を割いていて、『恋の大冒険』(1970 羽仁進)の映画作りを通して出会った盟友・山田宏一氏との、「映画について私が知っている二、三の事柄」に始まる、装丁を含めた本作りのさまざまな面における協働作業のことを振り返っている。

というわけで、ここで、和田氏の装丁による山田宏一氏の主だった著作群の表紙を、ぜひご覧下さい。

それから、こちらは和田氏が装丁を手がけた、小林信彦氏のちくま文庫の映画本シリーズ。

そしてこちらは、氏独特の似顔絵を表紙にあしらった映画人の評伝の数々。

そうそう、それに和田氏は、今は亡きアメリカの映画評論家にして人気ミステリ作家のステュアート・カミンスキーが、1940年代のハリウッドを物語の舞台に据えた連作ハードボイルド小説の翻訳や解説の仕事も手がけていて、これらもひと通り、目を通したものだった(ちなみにこのカミンスキーは、映画の仕事では、ドン・シーゲルやクリント・イーストウッドなどの評伝を手がけているほか、あのセルジオ・レオーネの遺作となったギャング映画大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)で、イタリア人の脚本家たちが母国語で書いた台本を、英語の台詞に書き換える作業を手伝った人物)。

そんなわけで、手持ちの映画本をいくつか画像で紹介したが、それはほんのごく一部で、和田氏が装丁に関わった本は、我が書庫の中にまだ何十冊とあるはず(ちなみに、今回の冒頭に紹介した「映画監督ベスト101 日本篇」、そしてそれと対になる外国篇の「映画監督ベスト101」の装丁も、やはり和田氏の手によるもの)。

子供の頃からの映画好きが嵩じて、映画についての文章を書くようになり、やがてはついに、自ら映画監督の道も歩むことに。多芸多才な和田氏にとって、映画監督という仕事は、その幅広い業績のうちのあくまで一部で、監督作の数も決して多くはなかったのが今となっては何とも残念で惜しまれるところだが、けれども、やはり同氏は、どこかヌーヴェル・ヴァーグ的な感性と資質を兼ね備えた、数少ない日本の映画人だった気がする。そしてまた、和田氏は、映画監督になった後になっても、いい意味での映画ファン気質を最後まで手放さずに、生涯無類の映画好きを貫いた稀有な人物でもあった。2015年に刊行された氏の映画エッセイ集は、「ぼくが映画ファンだった頃」と題され、あえて過去形で記されたその本の題名がふと気になって引っかかる人もいるかもしれない。その件については、まえがきに記されているので、未読の映画ファンは、どうか同書を手に取ってご自身の目でお確かめあれ。

筆者自身も、和田氏に倣って生涯映画好きのひとりであり続けたい、と願うばかり。ここで改めて和田誠さんのご冥福をお祈りします。合掌。