前回の続きで、筆者が以前手がけた原稿仕事を織り交ぜて補足説明を加えながら、改めてジョナサン・デミのことをもう少し振り返っておくことにしたい。
まずは、英国映画協会(BFI)が発行するイギリスの映画雑誌「サイト&サウンド」誌が、1952年を皮切りに、1962年、1972年...と、10年ごとに各国の著名な映画監督や映画評論家たちに行っている映画史上のオールタイム・ベストテン・アンケートの1992年版で、デミが選び出した映画ベストテンは、以下の通り。
- 『アントニオ・ダス・モルテス』(1969 グラウベル・ローシャ)
- 『暗殺の森』(1970 ベルナルド・ベルトルッチ)
- 『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989 スパイク・リー)
- 『ゲアトルーズ』(1964 カール・Th・ドライヤー)
- 『キング・コング』(1933 メリアン・C・クーパー&アーネスト・B・シェードサック)
- 『神々の深き欲望』(1968 今村昌平)
- 『王家の谷』(1969 シャディ・アブデルサラム)
- 『ロビンとマリアン』(1976 リチャード・レスター)
- 『ピアニストを撃て』(1960 フランソワ・トリュフォー)
- 『オズの魔法使』(1939 ヴィクター・フレミング)
[初出:「映画監督のお気に入り&ベスト映画」(2000 エスクァイア マガジン ジャパン)に若干修正を加えた]
ご覧の通り、ブラジル、イタリア、デンマーク、日本、エジプト、フランス映画...、といった具合に、『キング・コング』や『オズの魔法使』のようなハリウッドのポピュラーな人気作に入り混じって、世界各国のさまざまな名作を幅広くセレクトしているのが、いかにもデミ監督らしいユニークなところ。
前回紹介したインタビュー記事「デミ、自らを語る」によると、子供の頃から既にいっぱしの映画狂で、あらゆる種類のポピュラーなアメリカ映画を見まくっていた彼が、ベルイマンやトリュフォーなどの外国映画を見始めて、大きく目を見開かされるような経験を味わうようになったのが、大学時代のこと。とりわけ、『ピアニストを撃て』は、おそらく彼が人生において初めて字幕入りで見た映画で、その劇中、主人公のシャルル・アズナヴールがチンピラたちに向かって、「もし俺がお前たちに嘘などつこうものなら、おふくろが死んでも構わない」と言うと、突如、彼の母親が死ぬ場面が映し出され、それまでアメリカ映画ではついぞ味わったことのない愉快な刺激を得ることが出来たと、初めてこの作品を見た時の興奮を楽しそうに語っている。
実のところ、ここでのデミの発言には多少の記憶違いがあって、劇中で上記の台詞を吐くのは、主人公のアズナヴールではなく、チンピラの方。そこで、山田宏一氏の「フランソワ・トリュフォー映画読本」の中から、「脈略のないカットの連続。喜劇とも悲劇とも、冗談とも深刻とも、ギャング映画とも恋愛映画ともつかぬ、転調につぐ転調」が生じる、この『ピアニストを撃て』の当該場面の記述を抜き出しておくと、以下のようになる。
- 滑稽な二人組のギャングが登場し、車のなかでさんざんホラを吹き、「おふくろの命にかけて誓うぜ、これが嘘だったら、おふくろはくたばるだろう」と一方が言うと、いかにもおふくろらしい婆さんがぶっ倒れるワンカットが唐突に入ってきたりする。