●追悼 ジョナサン・デミ② ― デミ三題噺 デミのお気に入り映画ベスト10、ロジャー・コーマン、ポール・トーマス・アンダーソン (蔵出し原稿)

2019年01月20日

前回の続きで、筆者が以前手がけた原稿仕事を織り交ぜて補足説明を加えながら、改めてジョナサン・デミのことをもう少し振り返っておくことにしたい。

まずは、英国映画協会(BFI)が発行するイギリスの映画雑誌「サイト&サウンド」誌が、1952年を皮切りに、1962年、1972年...と、10年ごとに各国の著名な映画監督や映画評論家たちに行っている映画史上のオールタイム・ベストテン・アンケートの1992年版で、デミが選び出した映画ベストテンは、以下の通り。

  • 『アントニオ・ダス・モルテス』(1969 グラウベル・ローシャ)
  • 『暗殺の森』(1970 ベルナルド・ベルトルッチ)
  • 『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989 スパイク・リー)
  • 『ゲアトルーズ』(1964 カール・Th・ドライヤー)
  • 『キング・コング』(1933 メリアン・C・クーパー&アーネスト・B・シェードサック)
  • 『神々の深き欲望』(1968 今村昌平)
  • 『王家の谷』(1969 シャディ・アブデルサラム)
  • 『ロビンとマリアン』(1976 リチャード・レスター)
  • 『ピアニストを撃て』(1960 フランソワ・トリュフォー)
  • 『オズの魔法使』(1939 ヴィクター・フレミング)

[初出:「映画監督のお気に入り&ベスト映画」(2000 エスクァイア マガジン ジャパン)に若干修正を加えた]

ご覧の通り、ブラジル、イタリア、デンマーク、日本、エジプト、フランス映画...、といった具合に、『キング・コング』や『オズの魔法使』のようなハリウッドのポピュラーな人気作に入り混じって、世界各国のさまざまな名作を幅広くセレクトしているのが、いかにもデミ監督らしいユニークなところ。

前回紹介したインタビュー記事「デミ、自らを語る」によると、子供の頃から既にいっぱしの映画狂で、あらゆる種類のポピュラーなアメリカ映画を見まくっていた彼が、ベルイマンやトリュフォーなどの外国映画を見始めて、大きく目を見開かされるような経験を味わうようになったのが、大学時代のこと。とりわけ、『ピアニストを撃て』は、おそらく彼が人生において初めて字幕入りで見た映画で、その劇中、主人公のシャルル・アズナヴールがチンピラたちに向かって、「もし俺がお前たちに嘘などつこうものなら、おふくろが死んでも構わない」と言うと、突如、彼の母親が死ぬ場面が映し出され、それまでアメリカ映画ではついぞ味わったことのない愉快な刺激を得ることが出来たと、初めてこの作品を見た時の興奮を楽しそうに語っている。

実のところ、ここでのデミの発言には多少の記憶違いがあって、劇中で上記の台詞を吐くのは、主人公のアズナヴールではなく、チンピラの方。そこで、山田宏一氏の「フランソワ・トリュフォー映画読本」の中から、「脈略のないカットの連続。喜劇とも悲劇とも、冗談とも深刻とも、ギャング映画とも恋愛映画ともつかぬ、転調につぐ転調」が生じる、この『ピアニストを撃て』の当該場面の記述を抜き出しておくと、以下のようになる。

  • 滑稽な二人組のギャングが登場し、車のなかでさんざんホラを吹き、「おふくろの命にかけて誓うぜ、これが嘘だったら、おふくろはくたばるだろう」と一方が言うと、いかにもおふくろらしい婆さんがぶっ倒れるワンカットが唐突に入ってきたりする。

デミの話からは脱線するが、以前の"脚フェチ"ネタ絡みで、ついでにその先の山田氏の文章もここで紹介しておくと...

  • 二人組のギャングのもう一方は、車の運転をしながら、女の脚の美しさに見惚れていて車にひかれて死んだ親父の思い出話をする。すでに『恋愛日記』(1977)の結末を予告しているかのようだ。

ちなみに、デミはその後、『シャレード』(1963 スタンリー・ドーネン)の現代風リメイクであると同時に、ヌーヴェル・ヴァーグの諸作品に対する彼流のささやかなオマージュ作品というべき『シャレード』(2002)において、この『ピアニストを撃て』から数カットを引用し、さらには、あのアンナ・カリーナやアニェス・ヴァルダと並んで、当のシャルル・アズナヴール本人もゲスト出演させることになる。


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さて、前回も紹介した通り、デミが、あのロジャー・コーマンのもとで映画修業を積み、早撮り、低予算のB級娯楽映画作りの基礎を一からみっちり叩きこまれたうえで、一連のエクスプロイテーション映画で監督デビューを果たしたのはよく知られた事実だが、先述のインタビュー記事「デミ、自らを語る」の中で彼が披露しているコーマン時代のあれこれの思い出話も、波瀾万丈の愉快なエピソードに満ちていて無類に面白い。それを一つ一つ紹介していくと、すっかりキリがなくなるので、ここではほんの一例だけ取り上げて、ざっと駆け足で紹介することにしよう。

女囚もの映画『女刑務所・白昼の暴動』(1974)で念願の監督デビューを果たしたデミは、次なる監督作として『怒りの山河』(1976)の準備に熱心に取り組むことになる。一方その頃コーマンは、自身が監督して大ヒットした『血まみれギャングママ』(1970)、そして彼がプロデュースし、スティーヴ・カーヴァーが監督を手がけた『ビッグ・バッド・ママ』(1974)に続く、同種のコメディ調ギャング映画第3弾を世に送り出すべく、『クレイジー・ママ』(1975)の製作準備に取りかかっていた。ここでコーマンがその監督に抜擢した人物は、誰あろう、シャーリー・クラーク。『ザ・コネクション』(1961)などで、アメリカのインディペンデント映画界きっての女性映画作家としてその名を知られるクラークは、この『クレイジー・ママ』で初めて商業娯楽映画の監督を試みる機会が訪れたわけだが、幸か不幸か、実際の撮影に入る直前の最終段階においてコーマンとの間に諍いが生じ、監督の座を降りてしまう。

(クラークに関しては、以下の「映画の國」の吉田広明氏のコラムにそのプロフィールが詳しく紹介されているので、ぜひそちらを参照のこと。その文末で触れられているコーマン製作の映画というのが、この『クレイジー・ママ』のことですね。クラークに関しては、同じく「映画の國」の上島春彦氏の一連のコラムもぜひどうぞ。なお、クラークの映画は、ここ最近になって海外で相次いでDVD/ブルーレイ化され、いろいろ見ることが可能になっているので、興味のある方は、各自でご探究あれ。ちなみに、彼女の代表作の1本『ザ・コネクション』は、昨年日本でもフィルムセンターで上映されている。)

https://urx3.nu/PrfJ

https://urx3.nu/PrfM

https://urx3.nu/PrfQ 

けれどもその段階で、既にキャスティングは決定していて、さらには、映画の公開日も3ヶ月後に設定済みだった。そこでコーマンは、デミを急遽呼び出すと、「よしいいか、『怒りの山河』は棚上げにして、お前は『クレイジー・ママ』を来週から監督するんだ」と言いつけた。てっきり『怒りの山河』のスクリプトの打ち合わせのつもりでコーマンと会い、だしぬけに彼から、まだ脚本に目を通してもいないまったく別の映画を監督するよう命じられたデミは、「ロジャー、そんなの無理です」と抗弁し、僕はこれまで『怒りの山河』の脚本の準備にずっとかかりっきりになっていたんで、どうか『クレイジー・ママ』はほかの誰かを探して、僕には『怒りの山河』をやらせてください、と嘆願する。けれどもコーマンは、「ジョナサン、分かってないな。お前が『クレイジー・ママ』を監督しない限り、『怒りの山河』は永遠になしだ。1時間後にキャスティングのミーティングがあるから、今のうちにさっさと軽食をすませて、それに顔を出すんだ!」と言いつけたという...。

「『クレイジー・ママ』に関しては、クレイジーなことが山ほどあった」と、「デミ、自らを語る」の中での彼の苦労話は、この先もまだまだ続くのだが、このあたりでそろそろ、この話は切り上げることにしよう。映画作りの現場において、コーマンとは何かと亀裂や衝突も生じた若き日のデミだが、コーマンのもとでの修業時代の怒濤の日々を振り返って、「当時はまだ理解できていなかったけど、自分は、その頃のアメリカにおける最良の映画作りの教育を受けていたと、今にして思う。いやことによると今日のアメリカでもそうかもしれない」と述べている。

フランシス・フォード・コッポラ、ピーター・ボグダノヴィッチ、マーティン・スコセッシ、ロン・ハワード、ジェームズ・キャメロン、等々、名だたるコーマン門下生の先輩後輩同業者たちと同様、デミも結局、『怒りの山河』を最後にコーマンのもとから巣立って、彼とは別々の映画人生を歩むことになるわけだが、それでもデミは、師から受けた恩義を終生忘れず、『スイング・シフト』(1984)をはじめ、『羊たちの沈黙』(1991)や『フィラデルフィア』(1993)、さらには『クライシス・オブ・アメリカ』(2004)、『レイチェルの結婚』(2008)に至るまで、数々の自作の中にコーマンをゲスト出演させ続けた。そして2009年、コーマンがついにアカデミー名誉賞を手にするという授賞式の晴れ舞台において、彼にオスカーを手渡したのが、ほかの誰ならぬデミその人だったということが、師匠と弟子という立場を越えた2人の固い友情を何より雄弁に物語っていると言えるだろう(その感動的な場面は、『コーマン帝国』(2011 アレックス・ステイプルトン)の中で目にすることが出来る)。

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ここまで、ジョナサン・デミと彼に大きな影響を与えた映画や映画人について、あれこれ書き綴ってきたところで、今度は、デミの映画に大きな影響を受けた現代の映画作家のことを最後に紹介することにしよう。幾人か頭に浮かぶ候補者たちの中から、ここであえて一人に絞ってその名を挙げるとするならば、その人物は、やはりポール・トーマス・アンダーソンということになるだろう。

まずは、筆者が2003年、「新世代監督はアメリカ映画を救えるか」という映画のムック本に書いた以下の原稿を、基本的にそのままの形で蔵出しさせてもらうことにしたい。


◆ポール・トーマス・アンダーソン

ウェス・アンダーソンの映画と同様、もう一人のアンダーソンこと、ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTAと略)の映画を、何より個性的な映画作家の作品たらしめているのは、その特徴的な話法だ。

「『ブギーナイツ』(1997)に関して興味深い点の一つに、その転調の仕方がある。例えばドラマ的なものから、おふざけやパロディ調への」と、イギリスの映画雑誌「サイト&サウンド」のインタヴュアーから質問を切り出されたPTAは、次のように答えている。

  • 「僕のお気に入り映画の二本に、F・W・ムルナウ監督の『サンライズ』(1927)とジョナサン・デミ監督の『サムシング・ワイルド』(1986)があって、それらを僕は"ギアシフト映画"と呼んでいる。つまり、こうやって指をパチッと打ち鳴らすみたいに、調子が途中でガラリと変わるんだ。僕が、そうした転調を映画の中で見るのが好きなのは、現実もそういう風にできているからだし、また巧みな話術でもあるからだ」

また、「手頃な時間の中にできるだけ多くのストーリーを詰め込もうとしたんだ」というPTAは、「この映画のスタイルに影響を与えた作品を今パッと思いつくもので挙げると、『ナッシュビル』(1975 ロバート・アルトマン)、『グッドフェローズ』(1990 マーティン・スコセッシ)、『アルジェの戦い』(1966 ジッロ・ポンテコルヴォ)だ」とも語っている。

別のところで、彼は『雨に唄えば』(1952ジーン・ケリー & スタンリー・ドーネン)をこの映画の最大の影響源に挙げているが、サイレントからトーキーへと移行する時期の映画業界の変遷ぶりを、歌と踊りを交えて愉快に綴ったこのミュージカル映画の傑作が、フィルムからビデオへと移り行く間のポルノ産業の栄枯盛衰を描いた『ブギーナイツ』とパラレルの関係にあるのを見て取るのは、たやすいだろう。

PTAは、1999年には、自らの故郷であるLA郊外、サンフェルナンド・ヴァリーを舞台に、そこに住む複数の人々が多彩な人間模様を織り成す様子を力業の演出で綴った、上映時間が3時間以上にも及ぶ長編第2作の『マグノリア』を発表。そこにはまぎれもなく、アルトマン流の群像劇の手法、とりわけ『ショート・カッツ』(1993)の影響が色濃くにじみ出ていて、同作にも出演していた『ブギーナイツ』のジュリアン・ムーアのほか、ヘンリー・ギブソンとマイケル・マーフィというアルトマンのひいき役者二人もキャストに起用。さらに、『ショート・カッツ』の地震に対し、この映画のラストでは大量の蛙の雨を降らせるという、とんでもないデウス・エクス・マキナを用意して強引に話を締め括り、観客をアッと驚かせた。

新作の『パンチドランク・ラブ』(2002)になると、今度は一転して上映時間が95分と前作の約半分に縮まり、一組の風変わりな男女の恋物語がオフビートなタッチで描かれことになるが(もしやこれって、PTA流の『ミニー&モスコウィッツ』(1971 ジョン・カサヴェテス)!?)、ここでも、何とあのアルトマンの『ポパイ』(1980)の中で素っ頓狂なオリーヴに扮したシェリー・デュヴァルが歌うラブ・ソングがBGMに用いられており、やはりアルトマンからの影響を嗅ぎ取ることができる。

[初出:「新世代監督はアメリカ映画を救えるか」(2003 エスクァイア マガジン ジャパン)]

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周知の通り、PTAはその後も、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)、『ザ・マスター』(2012)、『インヒアレント・ヴァイス』(2014)と野心的な作品を次々と発表し、いまや現代アメリカ映画界きっての若き巨匠のひとりとして存分に活躍している。そして、クェンティン・タランティーノやウェス・アンダーソンらと同様、根っからのシネフィル監督であるPTAは、古今東西の映画を見まくってはそこからさまざまな養分を貪欲に摂取し、それを自らの映画作りの根幹に据えている。さらには、やはり上記の2人と同じく、PTAも、自らの映画的ルーツに関して、きわめてオープンかつフランクにそれを説き明かしている。

上記の拙文でもそうだったように、PTAに大きな影響を与えた先達の映画作家といえば、たいてい筆頭に挙がるのがロバート・アルトマン、次いでマーティン・スコセッシと来るのが、映画ファンの大方の予測だろうが、PTA本人は、『ブギーナイツ』のDVDの音声解説で、実は自分が最も深い影響を受けた映画作家はジョナサン・デミだ、と自ら打ち明けているし、また別の場で「あなたに最も影響を与えた映画作家を3人挙げるなら」と問われて、「ジョナサ・デミ、ジョナサン・デミ、ジョナサン・デミ」と答えている(かつてオーソン・ウェルズが、同様の質問を受けて「ジョン・フォード、ジョン・フォード、ジョン・フォード」と答えたように)。そして、PTAは実際、デミ本人とも親交を結び、公の場においても複数回にわたって仲良く対談を行っている。

https://urx3.nu/Prgr

PTAと、彼に影響を与えた映画作家たちとの相関関係については、いまやすっかりシネフィルたちの研究テーマの定番の一つとなり、ネットで検索すれば、たちまち多くの文章にヒットする。ここでは、それなりにコンパクトにまとまった英文の記事を一つ、以下に紹介しておくことにしよう。

[*初出時にアドレスを貼りつけた記事が、どうやら掲載先のサイトが既に閉じられていて見つからないようなので、探究したい方は各自でどうぞ。]

さらには、PTAのこれまでのさまざまな発言をもとに、彼のお気に入り映画をピックアップした作品リストが、DVD/ブルーレイ発売の老舗レーベル、クライテリオンのオンラインサイトにアップされているので、興味のある方は以下をどうぞ(ただし、このリストは、あくまでクライテリオンから発売されている作品に限ったものなので、その点は留意されたし)。

[*これまた、クライテリオンのサイトの「マイ・クライテリオン」のコーナーが,目下工事中で参照不可となっており、残念…。]

ここで筆者の方から、PTAとデミの映画についてこれ以上何かを言うのはもうよすことにして、ここらで話を切り上げることにするが、ただ最後にひとつ、PTA映画のおなじみの主要テーマたる、主人公の青年と彼の師父というべき年長者との愛憎と葛藤を描いた、その名もずばり『ザ・マスター』が、デミの珠玉の逸品『メルビンとハワード』と深く相通じた作品であることは、やはり指摘しておく必要だろう(ただし、『ザ・マスター』のホアキン・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマンの関係は、『メルビンとハワード』のポール・ルマットとジェイソン・ロバーズのように、なごやかで微笑ましいものとは到底言えないが)。

[2017.6.3  拙ブログ「In A Lonely Place」にアップ]