●松浦寿輝「名誉と恍惚」(蔵出し原稿)

2021年02月11日

松浦寿輝氏の最新長編小説「名誉と恍惚」を最近になってようやく読破し、期待に違わぬそのスリリングで刺激的な内容を存分に堪能して、心打ち震えるような感動を覚えた 。

松浦氏といえば、詩人、作家、仏文学者、そして、表象文化全般にわたる批評家、という当世随一の博学多才でダンディな知識人であり、この中には無論、映画批評家としての顔も含まれる。

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ある日突然、思いも寄らぬ謀略に巻き込まれて人生の奈落に突き落とされ、寄る辺なき彷徨と潜伏の日々を送る運命に陥った主人公が、その逆境の中で自らのアイデンティティを改めて見つめ直し、名誉と誇りをかけて憎い仇敵との宿命の対決に立ち向かっていくという、この「名誉と恍惚」の中心を貫く骨太なドラマは、極上のフィルム・ノワールを思わせ、そこへさらに、物語の舞台となる1930年代後半の上海の入り組んで混沌とした時代・政治状況や、"魔都"とも呼ばれた迷宮都市・上海の妖しくも甘美な魅力が克明に活写され、それらが複雑巧緻に絡み合いながら物語は重層的に進んでいく。

原稿用紙1300枚、頁総数にして760頁にも及ぶ長大な作品ではあるものの、作品の至るところで不意に意外な方向へといざなう、作者のさまざまな知的仕掛けに満ちた緩急自在の鮮やかな話術に、物語の主人公や筆者のみならず、他の多くの読者もまた心地良く翻弄されながら、この大部の小説をめくるめくような思いで読み進めるに違いない。

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「名誉と恍惚」の物語のはじまりの舞台となるのは、1937年、日中戦争勃発直後の上海。そして物語の主人公は、その上海の共同租界を英国や米国、日本が中心となって統治・管理する国際組織、工部局警察部の一員、芹沢。当時の上海の状況は、芹沢の目を通して以下のように説明される。

  • 異様と言うなら結局、この上海という都市自体が今や異様なことになっているのだ、と芹沢は思った。日本軍と日本政府は、この共同租界とフランス租界にはとりあえず手をつけないと決めた。[...中略...]ひとたびここにまで侵攻を始めたら、英国人米国人フランス人その他の権益を侵すことになり、とんでもない国際的不祥事として囂々たる批難の声が上がり、収拾のつかない大騒ぎになることは自明だからだ。いきなり世界を相手に戦うことにもなってしまいかねない。そこで日本軍は橋という橋を断ち、当面、租界を孤立させた。かぼそい通路として外白渡橋一つを残し、その通行を厳重な管理下に置いたのだ。だから今、上海の租界は一種、宙に浮いた無重力空間みたいなものになっている。歴史からも現実からも切り離され、大洋にぽつんと浮かぶ離れ小島......。 

そして、そこでの芹沢の立ち位置はというと、  

  • 芹沢は、工部局警察部の職員として、共同租界の安寧秩序に奉仕する義務を負っていたが、他方で上海の日本人社会の一員でもあり、この二つの所属の間で引き裂かれる場面に遭遇することも多くなった。 

    橋の一方の側では、嫌なにおいがするなと嫌味を言われ、もう一方の側では、おまわりかと吐き棄てられる。ならば、ひょっとしたらおれの居場所はその中間にしか、つまり二つの地域の間の境界を流れる川に架かる、橋それ自体のうえにしかないのかもしれない。そんな思いがふと芹沢の心をよぎった。 

それにもともと、芹沢は、子どもの頃から、次のような奇妙な発作にしばしば襲われていた。 

  • 自分が何に、あるいはどこに所属しているのか不意に確信が持てなくなり、迷子の幼児か何かになって世界にいきなり素裸で放り出されてしまったように感じるのだ。それまで自分を護ってくれていた被覆が剝ぎ取られ、赤剥けになった皮膚がざらざらした世界の表面にじかにこすりつけられるような、痛みとも不安ともつかぬそんな「居たたまれなさ」の感覚。  

そうした不安やよるべなさから逃れるため、成長した芹沢は、あえて警察官となる道を選び、自分を鎧兜のように護ってくれそうな制服を身に着けていたが、 

  • 警官の制服など結局はかりそめの借り着のようなものでしかなく、それを剥ぎ取られてしまえばそこにはただひりひりするような生身の一個の肉体が出現するだけ。そういうことなのか。  

という疑念が、なおも彼につきまとう。

そんな芹沢が、陸軍参謀本部「諜報課」の切れ者の若手将校である嘉山という少佐から、上海の闇社会を牛耳る犯罪組織の頭目との密談をぜひ取り持って欲しいと頼まれ、自らの出生に関わるある秘密を知られた弱みにつけこまれて、やむなく両者の橋渡しの役目を請け負わざるを得なくなったことから、彼の運命は一気に暗転する。そして、自分ではその裏事情がよく分からないまま、嘉山の手駒としていいように利用された挙げ句、芹沢は容赦なく彼から切り捨てられて、のっぴきならない窮地へと追い込まれ、すべてを捨てて上海の共同租界からいったん遁走を図るはめとなる。

先に「上海の租界は一種、宙に浮いた無重力空間みたいなものになっている。歴史からも現実からも切り離され、大洋にぽつんと浮かぶ離れ小島......」という文章を紹介し、また別の個所では、

  • さしあたり、戦禍は外白渡橋の向こう側で喰い止められているわけでね。今の上海租界はまあ、一種の空白地帯、真空地帯みたいなものでしょう。 

と芹沢が述べるのに対し、 

  • 空白? 真空? 馬鹿言っちゃいけない。[...中略...]空白どころか、途方もない暴力が渦巻いているよ。いや、むしろ本当の問題は、そういうあからさまな暴力なんかじゃない。むしろ水面下で、目に見えないところで、複数の激しい力が交錯し、ぎしぎしと軋み合い、衝突し合っている。 

と、対話する相手から鋭く切り返される場面も出てくるが、結局、芹沢のその甘い認識がツケとなって返ってきて、彼は、自らの防護服代わりにしていた警官の制服を剥ぎ取られて、どこか箱庭めいた上海租界の中から外へと放り出され、そこで再び生身の一個の肉体に立ち返り、赤剥けの素肌を厳しい現実の風にさらされながら、自らの人生を一から見つめ直すことになるのだ。


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ところで松浦氏は、「名誉と恍惚」に少し先立って、「黄昏客思」という随想集を2015年に刊行していて、その中に「秘匿恍惚」と題された一篇がある。 

この随想において、同氏は、生家の奥まった部屋に置かれた桐箪笥の引き出しの中に小箱があり、その中に、脱脂綿にくるまれて自分の臍の緒が仕舞われていたと、子供時分のささやかな思い出を書き綴っている。次いで、中勘助やヴァルター・ベンヤミンがそれぞれ書き残した同種の主題の文章が引き合いに出され、家の中の、部屋の中の、箪笥の中の...といった具合に、「中」へ「中」へと幾重にも入れ子状に嵌入し合った、この「内部」が醸し出す不思議な感覚と魅力、さらには、recelerというフランス語の単語(なかなかそれにぴったりと合う日本語がない、と言いながら優美にたゆたう同氏の文意に背いて、ここで無粋ながらあえて簡略化させてもらうと、「内に秘める」とか「秘匿」を意味する動詞)に対する自らの偏愛や、「内部」の魅惑について語ったガストン・バシュラールの「空間の詩学」、吉岡実の詩行などに「客思」をめぐらせた後、松浦氏は、以下のような言葉を卒然と書きつけている。

  • 「内部」の夢想を美しく紡ぎ上げたバシュラールの想像宇宙に欠落しているものは、端的に、吹きっさらしの「外部」であろう。みずからのうちに何一つrecelerしていない、荒野の、砂漠の、放浪の、亡命の、「無縁」のトポス――バシュラールにはそれがない。[...中略...]

    しかし、わたしの想像は、「引き出し」の中、「小箱」の中、「巣」の中、「貝殻」の中に、クラインの壺をくぐるようなトポロジカルな反転によって、「外部」が「蔵されて」いたらどうかということなのだ。[...中略...]

    「片隅」に引き籠もる者の安息が、その閉所のただなかにいきなり開かれる「外部」の暴力にさらされ、うち砕かれたら、そのときいったい何が起こるかということなのだ。そこに露出する「剥き出しの生」の崩壊感、方向失調、茫然自失――それをしも、真の「恍惚=脱我(エクスターズ)」と呼ぶべきではないだろうか。

松浦氏は、「名誉と恍惚」を、2014年に刊行された大著「明治の表象空間」の続きか延長のような意識で書いた小説、と冒頭に紹介したサイトのインタビューで語っているが、「名誉と恍惚」の小説世界の直接的な雛型にして、その中心をなす核となったのは、むしろ、この「黄昏客思」所収の一篇、「秘匿恍惚」であるにきっと違いない。

そして、「秘匿恍惚」でギュッと凝縮して綴られた内容を、改めてここで優しく解きほぐすようにして、そしてまた、エピグラフの一つに掲げられたシモーヌ・ヴェイユの「至高の恍惚は注意力の充溢だ。」という言葉に対応するようにして、この「名誉と恍惚」の物語の後半、社会の底辺で肉体労働者として日々の生活を送っていた芹沢は、ある時、神の啓示か顕現にも似た強烈な「恍惚=脱我」体験を得ることになる。

  • 血も精液も糞尿も何でも呑み込み、すべての汚穢を浄化しつつ押し流してゆくこの膨大な水の流れを目の前に見ながらの、この茫然自失の時間――それもまたおれにとっての世界、おれの世界なのかもしれない。何千年、何万年も前から長江はこうして変わらず流れている。その流れは大らかで寛大だった。しかしまた、国と国との間のいくさなどよりはるかに残酷で非情でもあった。「内地」も「外地」もへったくれもない、ここはまともな国民たちの生きる世界の「外」であり、しかしその「外」こそが芹沢にとっての世界なのだった。[...中略...]

    いきなり、注意力が研ぎ澄まされた。注意する。特定の何かヘ向けて注意を凝らすのではなく、ただ注意すること。その力がおのずと並外れた強度を得て、いよいよ純粋に、透明に、尖鋭になってゆくようだった。[...中略...]

    次いで、不意に、吹きつけてくる川風に引っさらわれてどこか遠くへ、「外」へ吹き飛ばされてゆくような陶酔が来た。ほとんどそれはアナトリーとの性戯の頂点で体験しためくるめくような快楽に似た何かだった。いや、それ以上に激しく息苦しい、生まれてからただの一度も味わったことがないような恍惚だった。[...中略...]

    「外」へ引っさらわれ、芹沢の「中」はもう完全に空っぽだった。こんなに空っぽになったこともないな、と思った。おれの中にはもはや何もない。けれども、世界は在る。おれの前に、おれの周りに、たしかに在る。おれが注意を向けているこの一つ一つのものたち。これら無数のものたち、その総体が世界なのだ。

(なお、「秘匿恍惚」の中には、今まさに筆者がここでしていることをあらかじめ封印するかのように、「秘匿されているものはいつかは必ず白日の下に曝け出されねばならず、そうでなければ価値を持たない――これは公安警察の思想ではないだろうか」という一文があり、こちらとしても思わずギクリとして一瞬躊躇を覚えずにはいられない。しかしこれこそがまさに、「名誉と恍惚」の中で芹沢と嘉山を決定的に分かつ最大のポイントの一つであり、雑誌の連載終了後になって作者が新たに書き加えたエピローグの中に登場する印象的な一挿話は、それを裏付けているのではないだろうか......と、ここではあえて括弧に閉じて、そっと書き記しておくことにしよう。)


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さて、ここまで、「名誉と恍惚」の小説世界は、それに少し先立って発表された随筆「秘匿恍惚」の中で披瀝された松浦氏の着想を、1930年代後半の上海をキャンバスに見立てて、よりスケール大きく展開したものではないか、という筆者の当て推量の下、些か煩瑣なまでにそれぞれの文章を引用しながら、両者の照応関係(と思われるもの)を見てきた。

しかし、「名誉と恍惚」はそれ以外にも、詩や小説、エッセイ、評論...と、そのジャンルを問わず、これまで松浦氏が長年書き綴ってきた文章に登場する、大小さまざまなお馴染みの主題や要素に満ち溢れ、さながら松浦ワールドの集大成的作品と言えるだろう。

例えば、氏の映画論集「映画n-1」の帯には、「液体」、「独身者」、「接吻」、「少年」、「死体」、「人形」、等々、同書の中に収められた個々の映画論に見合った主題群がキーワードとして列挙されているが、「そぼ降る小雨の中、」という冒頭の書き出しの一文に始まって、主人公の芹沢が運命的に出会うヒロインにつけられた「美雨」という名前、芹沢を胸苦しく囲繞する血と汗、精液、そして、それらをすべて浄化して押し流す長江の雄大な流れ、といったさまざまな「液体」をはじめ、これらの主題群は、「名誉と恍惚」のここかしこにちりばめられて横溢している。

あるいはまた、実際の地政学上も、そして比喩的にも、さまざまな荒波が押し寄せ、それに呑み込まれつつある「吃水都市」の「波打ち際に生きる」主人公・芹沢と、悪戦苦闘の地獄めぐりの末に、彼の前に希望として広がる「青天有月」と「川の光」...。

ちなみに、上海の暗黒街の顔役のもとに出向いた芹沢が、本来の約束を反故にされてご機嫌斜めとなっている彼の第三夫人たる美雨を、気晴らしのために夜遊びに連れ出してやってくれと先方から唐突に頼まれ、困惑しつつもやむなく彼女のエスコート役を引き受けるあたりの意表を突く展開は、別の映画論集「映画1+1」で氏が映画評の一つに取り上げた『パルプ・フィクション』(1994 クエンティン・タランティーノ)の中に登場する愉快な一挿話を否応なしに想起させ、思わずニヤリとさせられる。

同作のユマ・サーマンと違って、「名誉と恍惚」のヒロイン、美雨はさすがに、ツイストを踊ったり、ヘロインの過剰摂取で突如ぶっ倒れたり、といった、おちゃらけた馬鹿騒ぎは起こさないものの、物語の時代や場所に見合った形で、阿片をくゆらせたりはする。実は元女優で、映画にも何本か出演した過去があるというこの美雨の人物設定には、わずか25歳で服毒自殺して現実にはこの時既にこの世を去っていたものの、映画会社〈聯華影業公司〉製作の「女神」(1934)、「新女性」(1935)等の映画に主演して1930年代の上海映画界きってのスターとして活躍した伝説の悲劇的女優、阮玲玉[ロアン・リンユィ](1910-1935) の神話的イメージが、やはりどこかに投影されているのだろうか。


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さて、先に紹介した強烈な「恍惚=脱我」体験を経た後、ようやく立ち直りのきっかけを掴み、さらには美雨らとの再会を経て、新たな自分を見出した芹沢は、この「名誉と恍惚」のもう一つのエピグラフとして掲げられたアルベール・カミュの言葉、「名誉は貧者に残された最後の富である」に従って、いよいよ後半のクライマックスにおいて、自らの名誉をかけ、憎い仇敵・嘉山との宿命の対決に挑むこととなる。

はたして嘉山が自分を手駒としていいように利用した、その真の目的とは一体何だったのか、という事件の裏に隠された真相追求の推理劇の行方もさることながら、ここで二人が繰り広げる熾烈なディスカッションが、なんともスリリングで面白い。

  • 芹沢は嘉山に向かって、明治の大帝と元老たちが築き上げた大日本帝国が、泥沼の中にずぶずぶと沈んでゆく、とか何とかさっき言ってたな、と声を投げた。その「ずぶずぶ」だがな、どっちのせいなんだ?[...中略...]「ずぶずぶ」は、帝国のせいか、泥沼のせいか、どっちだ? どっちが悪いんだ?

    帝国を沈めにかかっている泥沼の方が悪い、乾いたちゃんとした地面でいてくれればよかろうに、こんなにずぶずぶの、臭い汚い泥沼になりやがって ― と、おまえらはそう思っているんだろう。しかし、本当にそうか? 建物が揺らぐのは、土台をしっかり造っておかなかったせいじゃないのか? 地盤が不安定な土地に家を建てようと思ったら、まず第一に、堅固な土台を、基礎を作っておかなくっちゃならない。それが常識ってもんだろう。

芹沢のこの根本的な問いかけは、この後さらに、

  • 教育制度だけの話じゃないぞ。政治、法、思想、哲学......すべての支柱が、欠陥品、不良品とは言わんが、十分なものではなかった。西洋からの輸入品を、ちょこちょこっと手直しして、ちゃっかりと当面の用に間に合わせようとした。徹底的な基礎工事を自前でやろうとしなかった。何もかもが急ごしらえ、間に合わせ、俄づくり......。「ずぶずぶ」の本当の原因はそれなんじゃないのか? 明治の先人たちがそれで何とか切り抜けていかなければならなかった事情はわかる。近代日本が今のこの支那みたいな体たらくにならないために、彼らが必死になって、限られた短い時間で、切迫した世界情勢の中で、超人的な努力と才能を傾けて、先進諸国に伍しうる帝国を建設しようとしてきた。それはわかる。同情もできる。だが、......

と、なおも続き、その詳しい内実に関しては、松浦氏が本書に先立って2014年に刊行した浩瀚な大著「明治の表象空間」をあたってもらうに如くはない。そして、この「名誉と恍惚」についての筆者の野暮な紹介も、そろそろここらで切り上げて、気になる物語の続きと、息詰まる彼らの対決の行く末は、ぜひ皆さんが各自で読んで楽しんでいただくことにしたいが、崩壊への道を歩む明治以降の大日本帝国の制度、システムをめぐって、なおもその「内」にふんぞりかえって居直る嘉山と、そこからいち早く離脱して「外」の視点からそれを批判する芹沢とが真っ向から対峙するこのあたりの記述を読み進めながら、ついつい筆者が思いを深く馳せることになったのは、奇しくもこの「名誉と恍惚」の劇中において彼らが宿命の対決を繰り広げる1939年、まさに黄金時代の頂点を迎えていた、いまひとつ別の帝国たるハリウッドの歴史のことだった。

例えば、オットー・フリードリックの「ハリウッド帝国の興亡」は、「『風と共に去りぬ』(ヴィクター・フレミング)、『ニノチカ』(エルンスト・ルビッチ)、『嵐が丘』(ウィリアム・ワイラー)、『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング)がつくられた1939年、ハリウッドの主だった映画作家たちは、それなりの理由をもって、勝利者たる英雄を自負することができた」という一文から書き起こされているし(柴田京子訳。ただし、同書中では題名だけ列挙された映画作品に監督名をカッコで補足し、漢数字を算用数字に改めた)、ピーター・ボグダノヴィッチも「ハリウッド・インプレッション」所収の「1939年度アメリカ映画ベスト・テン」という一文の中で(高橋千尋訳。これまた漢数字を算用数字に改めた)、この年は上記の話題作以外にも幾多の名作・傑作が生み落とされた並外れた当たり年だとして、『若き日のリンカーン』、『駅馬車』、『モホークの太鼓』(いずれもジョン・フォード)、『コンドル』(ハワード・ホークス)、『スミス都へ行く』(フランク・キャプラ)、『邂逅』(レオ・マッケリー)、『彼奴は顔役だ!』(ラオール・ウォルシュ)などを個人的なベスト・テンに挙げている。

1939年より以前の1920年代から主に1950年代の半ばまで、より長いタイム・スパンを取り、その時と場合に応じてしかるべき修整や調節を施しながらもアメリカ映画の黄金時代を堅固に支え続けた、ハリウッドのスタジオ・システムの円滑で機能的なメカニズムを精細に分析した映画史家のトマス・シャッツは、その画期的な著書の題名をいみじくも「THE GENIUS OF THE SYSTEM」(「システムという天才」、「天才的システム」)と名づけた。

しかしこの盤石にも思われたハリウッドのスタジオ・システムは、第2次世界大戦後、製作・興行・配給という三位一体の垂直統合体制が独占禁止法に抵触するとして、その根底から解体を余儀なくされ、さらにそこへ、赤狩りやTVの台頭などが追い打ちをかけて、我が世の春を謳歌していたアメリカの映画産業は、急速に崩壊・変質の一途を辿るようになる。

そして蓮實重彦氏は、「ハリウッド映画史講義」の中でこう記述することになる。

  • 1940年代の後半から50年代にかけてハリウッドで起こったほどの大がかりで「悲劇的」な撮影所システムの崩壊を、20世紀の人類は、いまだに他の領域では体験していないといってよい。事実、ほんの10年前ならごく当然と思われていた映画づくりのシステムが、第2次世界大戦の翌朝、映画の都とすら思われていたハリウッドから不意に崩れ始めるなどと予想しえたものなど、誰ひとりとしていなかったはずである。にもかかわらず、事態はそのように進行してしまった。[...中略...]

    たしかなことは、ハリウッドの巨匠たちにとって、闘うことが映画の必然的な条件だとはいささかも意識されておらず、ましてや、それが映画そのものの不幸だなどとは考えられていなかったという事実だろう。それは、撮影所というシステムが、まるで母胎のように彼らを外界から保護していたから初めて可能となる姿勢にほかなるまい。[...中略...]

    だが、映画を撮ることが意識的な振舞いたらざるをえない時代が不可避的に到来する。第1章で擁護されることになる「50年代作家」たちは、まさに、映画であることのさまざまな条件を意識せざるをえない時代に映画との関係をとり結ばざるをえなかった不幸な存在なのだ。(なお、引用した文中の漢数字を算用数字に改めた)

イリア・カザン、ジョーゼフ・ロージー、エイブラハム・ポロンスキー、ロバート・アルドリッチ、アンソニー・マン、サミュエル・フラー、ドン・シーゲル、ロバート・ロッセン...、等々のいわゆる「50年代作家」たちは、かくして、本来自分たちを優しく庇護してくれるはずの、ハリウッドのスタジオ・システムという母胎が壊れかけた時期に、個々に自らの映画作りを出発せざるをえなかった。なかでも「50年代作家」の幾重もの不幸を一身に体現した象徴的存在たるニコラス・レイは、自らの分身というべき、社会の片隅でひっそりと生きるアウトサイダーたちのよるべなさと苦悩を、幾度となくいとおしさをこめて繊細かつ痛切に描き出し、そこを『孤独な場所で』、あるいはまた『危険な場所で』と呼び、さらには『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』(二度と家・故郷には帰れない)と名づけたのだった。

松浦氏は、先に紹介した「秘匿恍惚」の文章の最後の方に、次のように書いている。

  • わたしを母胎に繋ぎ留めていた紐帯とは、いったい何だったのか。そして、それが切断され、この世界によるべなく投げ出されてしまった瞬間以降のわたしの生の時間とは何だったのか。

著者のこの切実な問いが、やはりまた、小説「名誉と恍惚」の主人公・芹沢の脳裏から離れず、時に自らの生命の危険をも顧みず、火中へと飛び込む彼の闇雲な行動を駆り立てていたように筆者には思える。そして、これは筆者だけの勝手な思い込みなのかもしれないが、いましがたざっと列挙したハリウッドの「50年代作家」たちのさまざまな映画、とりわけニコラス・レイの作品群の映画的記憶と、どこか深いところで共鳴・共振を起こしているように思えてならず、心打ち震えるような感動と戦慄を覚えずにはいられないのである。

[2017.4.25 旧ブログ「In A Lonely Place」にアップ]