●あれも見たい、これも見たい。でも時間がいくらあっても足りない…。 「サイレント映画の黄金時代」を腕に抱えてあれこれ思い悩む、2020年の正月

2020年01月21日

元旦に、知り合いの一人から、どうか正月は少しでもゆっくり時間を過ごせるように、という温かい気遣いのある年賀のメールをありがたく頂戴した。

こちらとしても、ふだんは何かと貧乏暇なしの慌ただしい毎日を送っているだけに、せめて正月くらいは、日頃の憂さや悩みを忘れて、のんびりとリラックスした時間を過ごしたいとは思ったものの、例年のことながら、年末・年始は、毎月レギュラーでやっている仕事の作業日がどうしても削られてしまう分、その皺寄せで、正月明け早々から、いきなりエンジン全開で仕事に取りかかる羽目となり、結局のところ、ろくろく息抜きや骨休めが出来ないまま、いつもの慌ただしい日常のペースへたちまち逆戻り。

しかもその間、よせばいいのに、あの「映画監督 神代辰巳」に引き続いて国書刊行会から昨年末に発売された、総頁数が900頁にも及ぶ、これまた超特大ボリュームの豪華映画本にして、汲めども尽きぬサイレント映画の豊穣なる魅力的世界へ読者をいざなってくれる古典的名著、「サイレント映画の黄金時代」(ケヴィン・ブラウンロウ著、宮本高晴訳)についうっかり手を出してパラパラ頁をめくり始めたのが、またしても失敗のもと。

はじめはとりあえず、さわりだけと思って適当に拾い読みしていたものの、いやいや、これはやはり最初からじっくり読まなくてはと、こちらも姿勢を正すこととなり、とはいえ、この本もまた分厚くてずっしりと重く、気軽に持ち運びがきかないものだから、外出時にはこれとはまた別に、こちらは新書版の手頃なサイズながら、さまざまな映画スターたちの多彩な経歴や魅力を軽妙洒脱な語り口と切れ味鋭い文章で面白く簡潔に紹介してくれる、芝山幹郎氏の極上の映画ガイド「スターは楽し 映画で会いたい80人」(文春新書)や、近年いつの間にか数多く登場するようになったナチスやヒトラー関連の映画のひそかなブームを、果たして今日のご時世においてどう受け止めるべきか、編著者の渋谷哲也・夏目深雪の両氏をはじめ、四方田犬彦、田中純、生井英考氏らの示唆に富む刺激的な論考を集めた、きわめてタイムリーで読み応えのある「ナチス映画論 - ヒトラー・キッチュ・現代」(森話社)などを持ち歩いて、同時並行的に読み進めるうち、こちらの頭もすっかりゴタマゼのチャンポン状態になって混乱をきたす事態と相成ることに。

ええい、それならばいっそ、この機会に見返すには丁度いいと、最初に読み出した「サイレント映画の黄金時代」を1週間以上の日数を要してようやく最後に読み終え、仕事の方もどうにか一段落ついたところで、この大著の中でもその製作の舞台裏の苦労話の紹介に大きな紙幅が割かれ、今回の邦訳本の表紙のカバーを、バビロンの宮殿の威容を誇る巨大セットが立ち並ぶその壮麗な場面写真で飾ることにもなった、D・W・グリフィス監督の記念碑的超大作『イントレランス』(1916)を、手持ちの海外盤ブルーレイのデジタル復元版でまた見直し(ちなみにこの2枚組のブルーレイには、当のブロウンロウその人による映画紹介の特典映像も収録されている)、時代や舞台がそれぞれ異なる4つの物語を同時並行的に描く、同作のあまりにも名高いクロス・カッティングの物語技法を、混乱をきたしてスキゾ症状に陥った我が脳内で、今こそかえってはっきり鮮明に了解することができたのであった...。

...というのは、無論こちらの冗談だが、「この映画は何十年もかかったかもしれない映画技術の進化を一瞬のうちに成し遂げるとともに、芸術史にも稀な、創造性に満ちあふれた映画の真の黄金時代を招来するのである」と同書でブロウンロウが書き記し、サイレント映画芸術のひとつの頂点を極めた、その何とも豪華絢爛で壮大なスケールの作品世界を、改めて存分に堪能したのだった。

かつては、サイレント映画の古典的名作を見られる機会や場所は、まだまだ数が限られていて、コアな映画ファンたちは、旧フィルムセンターやシネクラブなどで時たま催されるサイレント映画の特集上映や、ピアノやオーケストラの伴奏音楽、あるいはまた弁士付きのイベント上映会などの機会を熱心に追いかけるとか、あるいは画質の悪いビデオを借り出しては、個人的にそれらに目を通すのがせいぜい。

そんな中、筆者が学生時分の1986年冬に、蓮實重彦氏責任編集の季刊映画雑誌「リュミエール」でD・W・グリフィスの特集が組まれて、"映画の父"たるグリフィスが、『国民の創生』(1915)や『イントレランス』に助監督や俳優として参加しているラオール・ウォルシュやエリッヒ・フォン・シュトロハイムはもとより、ジョン・フォード、カール・ドライヤー、セルゲイ・M・エイゼンシュテイン、黒澤明、マキノ雅弘、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、さらには、スタンリー・キューブリックやスティーヴン・スピルバーグ、等々にいたる世界中の後続の映画作家たちに与えた多大な影響を、淀川長治、山田宏一、宇田川幸洋氏らのインタビューや対談、論考を通して振り返ると同時に、「グリフィスとともに映画史を横断しよう」というキャッチフレーズの下、それらの監督たちの作品とグリフィス作品をあえて並べて、2本立て、ないし3本立て上映を行なうというユニークな特集プログラムも組まれ、これには結構せっせと足を運んだものだった。

しかし、それから時代はすっかり様変わりし、いまや既に皆も周知の通り、例えばユーチューブで検索をかけてみると、「サイレント映画の黄金時代」の中で紹介されているさまざまなサイレント映画のうち、実はほかならぬこの『イントレランス』も含めて、有名無名を問わず、結構な数の作品がヒットして、誰もが即その場で楽しめることが可能となっている。「リュミエール」のグリフィス特集号を久々に読み返したせいもあって(ちなみにこの特集号における「グリフィスによる映画史」と題された蓮實重彦氏との対談の中で、今回の邦訳本にも帯文を寄せている山田宏一氏が、「間違いから生まれた技法がずいぶんあったとケヴィン・ブラウンローも書いていたと思います、『ザ・パレーズ・ゴーン・バイ』という素晴らしい本がありますよね」と、いち早く本書について触れている)、最近、筆者も暇を見つけては、ユーチューブで、リリアン&ドロシー・ギッシュ姉妹が出演しているグリフィスの初期の短編群などにぽつぽつ目を通していて、これを機に、まだまだ見逃している作品も数多いサイレント映画の広大な世界を改めてじっくり探索し直そうかと思ったりもしている。

無論、サイレント映画への入口は、別にグリフィスひとりに限る必要もなく、各自が、自分のお気に入りやお目当ての映画作家、スターなどに的を絞って、その作品を順番に追っかけていくというやり方も当然あるわけで、その際には、この「サイレント映画の黄金時代」がうってつけのガイドブックになるだろう。例えば、この本の扉でその優美な艶姿を存分に披露している伝説的モガ女優、ルイズ・ブルックスの出演作を試しにあれこれ見てみるのもひとつの手。

本来は同書の刊行にあわせるつもりで、ひと足先に昨秋シネマヴェーラ渋谷で開催されたサイレント映画の特集上映で、筆者自身、彼女主演の『人生の乞食』(1928 ウィリアム・A・ウェルマン)と遅まきながらようやく初対面を果たし、男装のホーボー姿から、後半は一転して、まるで赤ずきんちゃんさながらの愛くるしい姿へと変身する彼女のキュートな魅力に、またしてもすっかり悩殺されてしまった...。

あるいは、「サイレント期はコメディの黄金時代であった」として同書の後半に満を持して登場する三大喜劇王、ハロルド・ロイド、バスター・キートン、チャールズ・チャップリンの抱腹絶倒の喜劇の短編・長編をまとめて見て楽しむのも、いい手かも。ロイドの初期の短編喜劇は残念ながらあまり見ていないが、キートンとチャップリンのサイレント時代の作品群は、筆者自身ひと通りすべて見ているので、未見の映画ファンには自信をもってお薦めしたいところ。サイレント映画に関する数多くのドキュメンタリー番組も製作・監督しているサイレント映画史研究の第一人者ブラウンロウは、この3人それぞれのドキュメンタリー番組も手がけていて、かつてNHKのBSで放映されたのを録画した「バスター・キートン ハードアクトに賭けた生涯」(1987)は、今でもキートン映画を見るたびに併せてこちらも見返す、ファン必見・必携の貴重なお宝作品。

ただまあ、その一方で、いったんユーチューブであれこれ検索し出すと、見たい作品が芋づる式にどんどん出てきて、筆者自身、思わず途方に暮れてしまうこともしばしば。これを機に、サイレント映画の奥深い世界にずっぽり浸りたいのはやまやまだが、でも見たい映画は、新作旧作を問わず、他にも山ほどあって、これでは到底全部に目を通している精神的余裕やゆとりなどなく、時間がいくらあっても足りない...。

SNS時代の到来で、さまざまな情報やモノが身近にわんさかと溢れ返る中、ついつい目移りして、あれが見たい、これも見たいと、欲望ばかりが煽り立てられて先走りするものの、現実には、それに身体が物理的についていけず、古今東西の映画を日替わりのようにあれこれ見つつも、頭の中の整理が全然追っつかないというのが、ここ最近ずっと筆者につきまとう悩みの種。

すっかりゴタマゼになったフィルム巻の山の中に埋もれて呆然とした表情を浮かべ、そしてまた、フィルム巻の順番の繋ぎ間違いによって、カットが変わるごとに眼前の風景が次々に飛躍して入れ替わる中、それに何とか適応しようと必死で悪戦苦闘を繰り広げる、『探偵学入門』(1924)の中のバスター・キートンは、まさに今の自分の似姿そのもの。

それでもなお、映写技師にして名探偵気取りの素人探偵でもある同作のキートンさながら、この難題を解決する上手い方法はないものだろうかと、あれこれ思案に暮れるこの愚生であった...。


P.S.  

実を言うと今回は、クリント・イーストウッドの待望の最新監督作『リチャード・ジュエル』(2019)を真っ先に見た上でこのブログで張り切って紹介したかったのだが、試写で見ることができず、やむなく劇場公開まで待った上でようやく目にし、期待に違わぬ素晴らしい出来栄えに大いに感銘を受け、満足すると同時に、筆者が以前書いた『ハドソン川の奇跡』(2016)の映画評が、その時点ではまだ作られてもいなかった今回の新作の本質を、既にしてある程度言い当てているのでは、と思って、落ち込んだ自分の心をどうにか慰めているところ。グスン...。

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