●『運び屋』(2018 クリント・イーストウッド)

2019年03月06日

映画の冒頭、キャメラは、麦藁帽を頭にかぶり、花畑に栽培された美しい百合の花を静かに摘むひとりの人物を映し出す。そのほっそりした華奢な姿は、一見、慎ましい老婦人かにも思えるが、しかし改めてよく目を凝らして見ると......オー・マイ・ゴッド!......、ほかならぬクリント・イーストウッドその人だ !! 

続いて今度は、白ずくめの衣装を身にまとった粋でダンディな老紳士へと早変わりした彼は、自ら栽培した優美な百合の花を手に、品評会の会場へと足を運ぶと、大勢の御婦人方を相手に、にこやかな笑顔と愛嬌を振りまく。それにしても、イーストウッドと百合とは、一体何と奇妙で意表を衝く取り合わせだろう。こわもてのタフガイたる彼の世間的イメージとはおよそ縁遠い、思いも寄らぬ意外でユーモラスな場面の連続に、まだ事情がよく呑み込めない我々観客は、傍若無人に進行するその物語の行方を、ただもう呆気に取られながら見つめるほかない。こうしてイーストウッドの最新監督・主演作『運び屋』は、でだしから何とも快調なテンポで愉快に始まる。

近年は、実話をもとにした映画化の試みが相次ぐイーストウッドの監督作だが、今回、彼が新たな題材に選び出したのは、2014年、「シナロア・カルテルの90歳の麻薬の運び屋」という題で「NYタイムズ」の日曜版に掲載された、アッと驚く前代未聞の犯罪ルポ記事。そこには、メキシコの巨大麻薬カルテルからアメリカ各地へ車で大量の麻薬を密輸・運搬していた、スペイン語で「おじいちゃん」を意味する「タタ」の愛称で呼ばれる正体不明の伝説的運び屋が、2011年、麻薬取締局の捜査官たちの手でついに逮捕されたこと、そこで判明した「タタ」の正体はなんと、当時87歳にも及ぶ高齢の老人で、犯罪の前科がなく当局の監視や疑惑の目を容易にすり抜ける彼は、カルテルの連中からも大いに重宝がられていたことが、第2次世界大戦に参加した退役軍人で、花の愛好家たちの間では広く知られた人気園芸家でもあった彼の過去や現況を伝えるプロフィールなどと共に興味深く綴られていた。

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全米で大きな反響を呼んだ、思わずビックリ仰天のこの実話記事をもとに、以前、イーストウッドの監督・主演作『グラン・トリノ』(2008)でも原案・脚本を手がけたニック・シェンクが、イーストウッドを主役に想定しながら再び脚本を執筆。これを気に入ったイーストウッドが、改めてシェンクと共に、主人公のキャラ設定に彼好みの独自の肉付けを施した上で、自ら監督も兼ね、俳優としては『人生の特等席』(2012 ロバート・ロレンツ)以来、6年ぶりに劇映画に主演復帰することを決意した。こうして今なお現役バリバリのハリウッド最強最大の映画作家イーストウッドの緩急自在の鮮やかな演出魔術に加えて、カリスマ的魅力と遊び心に富んだお芝居を嬉々として披露する、彼の千両役者ぶりを改めて存分に堪能できるまたとない絶好の機会が、『グラン・トリノ』以来、10年ぶりに訪れることになった。

冒頭、優雅でダンディな園芸家として登場した、イーストウッド扮する『運び屋』の主人公アール・ストーンは、しかしその後、インターネットの登場による時代の変化にうまく対応できず、彼の人生は暗転。事業の失敗で負債を抱えた彼は、家や農園を差し押さえられる事態に追い込まれ、その上、仕事優先で家庭生活をなおざりにし、愛娘の結婚式まですっぽかして、家族一同からすっかり愛想を尽かされるはめとなる。

しかし、筆者が以前、「チェンジ/リングの神話学 ― 変貌/回帰し続ける映画界の偉大なストレンジャー」と題して書いたイーストウッド論の中でも最初に記した通り、イーストウッド映画のさまざまな主人公たちの人生のドラマは、『バード』(1988)の冒頭にエピグラフとして掲げられた「アメリカ人の人生に第二幕はない」というF・スコット・フィッツジェラッルドの一文とは反対に、序幕で苦い挫折や失敗を味わった後の、むしろ第二幕、第三幕からこそ、真に始まる。最初に彼らの身に何が起きようとも、「そして人生はつづく」のである。

(*右をぜひご参照あれ → https://ur0.link/RGWG

大切な仕事も家や家族も失って孤独な身の上となり、人生のどん底を味わった本作の主人公ストーンも、やはり例外ではない。彼は、手軽に大金を稼げるいい仕事があると、見知らぬ男に声をかけられたことから、ある荷物を車で指定された場所へ運ぶ新たな仕事にありつき、それまで彼がまるで思いも寄らなかった未知の世界の明るい面と暗い面の双方を、交互に垣間見ることになるのだ。

遠出のドライブを数回繰り返した後になって、その荷物の正体が実は大量のコカインであることを初めて知り、いまや自分が、メキシコの巨大麻薬カルテルの末端の「運び屋」(Mule=元来は動物のラバを意味する、密輸品や禁制品の運搬人を指す隠語)として重大な犯罪に手を染めていることに遅まきながら気づいた彼は、思わず愕然とする。しかし、その一方で、この危険な仕事のおかげで破格の報酬を稼ぎ、新車を買ったり、抵当に入った自宅や農園を買い戻したりして、すっかり人生の上昇気流に乗り、華やかで享楽的な新生活をエンジョイするようになった彼は、今さらそれを諦める気にもなれず、なおも運び屋の仕事を、どこまでものらりくらりとマイペースを貫きながら続行していく。

先に紹介した拙文のイーストウッド論の中で、筆者は、さまざまなイーストウッド映画に頻出する特徴的な出来事の一つとして、「どこかへ行って再び舞い戻ってくると、その時既に、彼は元のものとは何かしら違う別人へと変貌を遂げていた」と述べ、それをよく指し示す格好の例を、『ミスティック・リバー』(2003)と『チェンジリング』(2008)の中から挙げたわけだが(これまた、先の文章をぜひ参照のこと)、『運び屋』においても、やはりこのセオリーは依然、有効性を保っていると言えるだろう。麻薬運びのドライブで、アメリカ大陸の各地を車で往復するたび、本作の主人公ストーンも、人生に打ちひしがれた孤独で哀れな老人から次第に変貌を遂げ、やがては、カーラジオから流れる懐かしのヒット曲を一緒に口ずさみながら、オープンロードを軽快にひた走る、能天気な陽性老人へと再び生まれ変わるのだ。その最高にゴキゲンな彼の姿は、ホント爆笑モノ。

画面上にドライブの通算回数が字幕でカウントされるのは、本作にも準主役で出演しているブラッドリー・クーパーが、米軍史上最高の狙撃手として名を馳せた実在の伝説的ネイビー・シールズ隊員、クリス・カイルに扮して主演を務めた『アメリカン・スナイパー』(2014)の中で、彼がイラクの戦場に出撃するたび、やはりその回数が字幕で示されるのと似通っている。この『アメリカン・スナイパー』においても、クーパー演じる主人公カイルは、母国アメリカとイラクの戦場を往復するにつれ、大きく変貌していくが、ここでの彼は苛酷な戦場体験を積み重ねるうち、日常生活への復帰が困難をきたすようになって孤独と疎外感を募らせ、愛する妻子との距離も遠のくこととなる。

そして本作『運び屋』において、クーパーは、なかなかその正体を掴めないまま、伝説的運び屋たる主人公のあとを必死で追う麻薬取締局の捜査官ベイツ役で登場し、一方、そんな彼がひたひたと背後に迫るのを、かろうじてかわしながらも、イーストウッド扮する主人公のストーンは、いよいよ自分の新たな犯罪人生の命運が尽きる瞬間が近づいてきたことを肌身で実感するようになる。追う者と追われる者の運命が、微妙なところですれ違い、あるいは交錯し、さらには、2人が直接対峙しつつ、お互いの立場の違いを超えて深く心を通じ合う、物語の中盤から後半にかけての息詰まる展開は、本作最大の見せ場の一つであり、その白眉とも言いうるものだろう。

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そして、俳優イーストウッドが演じる老主人公のストーンは、ある切迫した事態の出来をきっかけに、今まで仕事や自分のことにばかりかまけて、家庭生活をすっかりなおざりにしてきたことを深く悔い、その罪を償うべく、残された大切な時間を家族と分かち合う道を選択する決断を下すこととなる。そのあたりのドラマの行く末は、ぜひとも各自、ご自分の目でしっかり見届けて欲しいが、これまで、『運び屋』の劇中主人公ストーンと同様、私生活においては、決して良き家庭人とは言えない自由奔放で恋多き人生を歩んできたイーストウッドが、この期に及んで本作で強く打ち出した「家族こそ最も大切な宝だ」というメッセージ(ひょっとして遺言?)は、やはり感慨深くて心打たれるものがある。

それというのも、ここで改めて少し振り返ってみると、過去のイーストウッド映画において、同様の台詞が主人公の口をついて出ることはあったにせよ、作品の中で実際に描かれるのは、むしろそれとは逆の事態がほとんどだったはずだ。その最も分かりやすい比較対象の例が、本作と同じニック・シェンクが脚本を手がけた『グラン・トリノ』。この映画の中でイーストウッドが演じる主人公ウォルト・コワルスキーは、毒舌ばかり吐く気難し屋の偏屈老人そのもので、『運び屋』の主人公ストーンと性格的には正反対だが、しかしやはりストーン同様、実の子供や孫たちからはすっかり愛想を尽かれ(というかむしろ、コワルスキーの方が彼らにすっかり愛想を尽かし)て一人暮らしの生活を送る毎日。そして彼は、隣家に越してきたアジアの少数民族、モン族の移民一家と次第に交流を深めた末、自らの自慢の宝物であるヴィンテージ・カーのグラン・トリノを、自分の家族ではなく、モン族の少年に遺産として贈ることになる。

それ以外にも、例えば、愛する妻子を北軍兵たちに殺されて復讐の旅に出た『アウトロー』(1976)の主人公イーストウッドは、旅する過程で出会ったアメリカ先住民の老酋長や女性ら、社会の周縁に生きるマイノリティたちといつしか擬似的な家族集団を形成し、旅回りの見世物一座の座長たる『ブロンコ・ビリー』(1980)の主人公イーストウッドも同様に、社会の落ちこぼれたちから成る一座のメンバーたちと家族同然の交流を結ぶ、といった具合に、イーストウッド映画においてはしばしば、本物の家族よりもむしろ、お互いに血の繋がりのない他人同士が深いところで心通じ合う様子を、数多くの作品で描き続けてきた。

その最も美しい結晶と言えるのが、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)だろう。この作品でボクシングの老トレーナーを演じるイーストウッドは、長年疎遠な間柄の実の娘に宛ててせっせと手紙を書き送るが、それらは皆、受け取られることなく未開封のまま差出人のもとに送り返されてきてしまう(結局、その娘は劇中には一切姿を見せない)。一方、彼のもとに弟子入り志願する、ヒラリー・スワンク扮する女性ボクサーのヒロインにも自分の家族がいて、プロボクサーとして成功を収めるようになった彼女は、家族のために新しい家を購入するが、彼女の折角の親孝行を、プアホワイトの典型たる母親の心ない一言が一瞬にして台無しにしてしまう。そして、実の家族とは折り合えない孤独な者同士であるイーストウッドとスワンクが、血の繋がった実の親子以上に濃くて深い擬似的な父娘関係を取り結ぶさまを、この映画は恐ろしいまでに峻厳かつ情感豊かに描き出していた。

ここでさらに「父と娘」という主題に着目するならば、『運び屋』以前のイーストウッドの俳優としての最後の出演作であった『人生の特等席』も、まさにそれを物語の中核に据えていたし、数あるイーストウッド映画の中では比較的マイナーで言及されることが少ないが、『目撃』(1997)も実は案外重要な作品と言えるだろう。物語のメインとなるのは、イーストウッド扮する神出鬼没の泥棒が、あろうことか、現職の合衆国大統領が引き起こした情痴殺人事件(でも、今ならいつ起きても不思議ではない)を偶然目撃してしまったことから、国家権力に追われるはめになるという、同名ベストセラー原作の娯楽サスペンス映画だが、その一方で、サブプロットとして、ここでもやはり主人公が、疎遠な間柄となった娘との関係修復に懸命に励む様子がユーモラスに描き出されている。

『目撃』の劇中で主人公の娘役を演じるのは、その後『ミスティック・リバー』や『ハドソン川の奇跡』(2016)にも出演するローラ・リニーだが、イーストウッドが最初の妻マギーとの間にもうけた実の娘である長女アリソン・イーストウッドも、映画の冒頭に画学生の役でわずかながら登場して、『タイトロープ』(1984)以来となる久々の父娘共演を果たしている。

アリソンは、『目撃』に続いて、イーストウッドが演出に専念した群像劇『真夜中のサバナ』(1997)では、多彩なアンサンブル・キャストの一翼を担って、以後、本格的に女優としての道を歩むようになり、後には監督業にも挑戦しているが、ここ数年、女優業からはすっかり遠ざかって引退状態にあった。

それが今回、この『運び屋』では、父親たるイーストウッドの側から出演依頼のオファーを受け、アリソンは当初返事に迷ったものの、もしここでこれをやらなかったら、君は今後、一生後悔することになるぞ、という夫の言葉に後押しされて、ついに出演する決意を固めたという。彼女は『運び屋』の劇中、自分の大事な結婚式を父親にすっぽかされて以来、なかなか彼のことを許そうとせず、素っ気ない態度を取り続ける娘の役を、単なる演技とも思えないピリピリと張り詰めた空気を発しながら演じているが、さすがのイーストウッドもアリソンとの劇中共演は、さぞかし何かと気を遣って緊張したに違いない。

しかし、2018年12月10日、ロサンジェルスで行なわれた『運び屋』のプレミア上映会の会場には、その長女アリソンだけでなく、長男のカイル、イーストウッドが2番目の妻ディナとの間にもうけた次女モーガン、そしてそれぞれ母親の違う、スコット、キンバー、キャスリン、フランチェスカという息子、娘たちに加え、イーストウッドが、マギーと結婚する以前に、ある恋人との間にもうけた隠し子の娘ローリーも駆けつけて、イーストウッドの8人の子供たち全員が初めて公の場で一堂に会して、大勢のマスコミ報道陣や映画ファンたちの話題と注目を集め、映画の中の物語のみならず、現実においてもイーストウッドが自らの家族のメンバーたちと仲睦まじいひとときを過ごす様子を、強く世間に印象づけた(この場にはさらに、とうの昔に別れたイーストウッドの最初の妻マギーや、カイルの娘でイーストウッドにとっては孫娘となるグレイレン、それにイーストウッドの現在の恋人で彼より33歳年下のクリスティーナ・サンデラも顔を見せた)。

映画が公開されるや、全米で既に興収が1億ドルを突破する大ヒットを飛ばしているだけに、先日行なわれたアカデミー賞で、この『運び屋』が1部門もノミネートされず、完全にスルーされてしまったのは、長年のファンのひとりとして何とも残念。イーストウッドは過去に、『許されざる者』(1992)と『ミリオンダラー・ベイビー』で、共にアカデミーの作品賞と監督賞を受賞し、やはり両作品でアカデミー主演男優賞にノミネートされたものの、同賞の受賞は逃している。イーストウッド自身、まだまだ現役監督としてこの先も続けていく意欲を充分見せているだけに、今後、彼の新しい監督作を拝める機会は必ずあるに違いないが、果たして彼が今の自分に見合ったふさわしい役柄を見つけて、俳優として再びキャメラの前に立つ機会が巡って来るかどうか...。それだけに筆者としては、この『運び屋』でイーストウッドにはぜひ、アカデミー主演男優賞を取って欲しかった! ただイーストウッド本人は、今現在、本作で俳優としてのキャリアを締め括ることにきっと充分満足しているに違いない。


* 以下は、映画『運び屋』のオフィシャル・サイト

https://urx.space/4K0W