●『上海から来た女』(1941 オーソン・ウェルズ)(蔵出し原稿)

2018年12月24日

弱冠25才で撮った長編監督デビュー作『市民ケーン』(1941)で、複数の話者による多元的な回想形式や、光と影が鋭く交錯するドイツ表現主義風の強烈な視覚効果などを存分に駆使し、フィルム・ノワール(だけに限らないが)の映画スタイルにも決定的な影響を及ぼした天才的革命児オーソン・ウェルズ。その彼が、当時コロンビアのドル箱人気女優であり、その頃既に別居中だった私生活上の妻リタ・ヘイワースをヒロインに起用して、先に一躍評判を呼んだ『ギルダ』(1946 チャールズ・ヴィダー)の彼女とはまたタイプの異なる冷ややかで欺瞞に満ちた宿命の女(ファム・ファタール)像を、めくるめく鮮烈な映像美の中に刻みつけた傑作。

物語は、悔恨の情に浸りながら過去を振り返る主人公マイケルの回想の声と共に始まる。ある晩彼は、謎めいた美女エルザとふと出会い、たちまち彼女に魅せられる。翌日彼は、彼女の夫バニスターが所有する高級ヨットの船員に雇われ、彼らと共にカリブ海をめぐる船旅へと出発する。その途中、エルザは、悪徳弁護士の夫とは脅されて結婚するはめになったのだと、涙ながらにマイケルに打ち明ける。一方マイケルは、バニスターの仕事上のパートナー、グリズビーからも、5000ドルの謝礼金と引き換えに偽装殺人の計画に加わって欲しいという意外な提案を受ける。エルザと駆け落ちする金を確保するために、マイケルはその申し出を受け入れるが、実はそれは彼を陥れるための巧妙な罠だった......。

虚偽と欺瞞に満ちた愛憎の物語は、もともとプロットが複雑に入り組んでいるうえに、ウェルズはその舞台背景を、NYからカリブ海の島々、アカプルコ、さらにはサンフランシスコの中華街や水族館へとめまぐるしく変えることで、エキゾティックで非現実的なムードを一層高めていく。さらに彼は、それに輪をかけるように、奇抜な視覚効果を随所に施して観客のパースペクティヴを決定的に狂わせる。とりわけ、遊園地の鏡の間で、ヒロインらの無数の反射像が砕片となって次々と飛び散っていくクライマックスの銃撃戦は、映画史上最も眩惑的でスリリングな視覚体験が味わえる名場面の一つといえるだろう。

それでも本作は製作者ハリー・コーンの不興を買って、ウェルズは作品の最終編集権を取りあげられ、当初の155分のつもりが88分に切り刻まれ、彼の意に染まぬ音楽が付け加えられたうえ、完成から1年以上もたってようやく公開された。映画は失敗作の烙印を押され、その後ウェルズはしばらくヨーロッパでの映画放浪生活を強いられることとなる。


[2016.4.10 拙ブログ「In A Lonely Place」にアップ。初出は、「フィルム・ノワールの光と影」(1999 エスクァイア マガジン ジャパン)]