●『ラストムービー』(1971 デニス・ホッパー)(蔵出し原稿)

2019年12月25日

* デニス・ホッパー監督・主演の"呪われた映画"『ラストムービー』(1971)が、デジタル・リストア化されて、約半世紀ぶりに美しい映像と共に甦り、日本では、1988年の劇場初公開以来、31年ぶりとなるリヴァイヴァル上映が、既に先週末から始まっている。

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折しも本日、クリスマスを迎えたのにあわせて(...とは言いながら、この日はイエス・キリストの生誕を祝う日であって、復活を祝う日ではないので、あくまでこじつけめいたものですが)、かつて同作について書いた拙文をここに蔵出しする次第。

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『イージー・ライダー』(1969)の華々しい成功で一躍時代の寵児となったデニス・ホッパーは、かねてから温めていた企画を実現すべく、勝ち馬に飛びつくかのように彼の下に集まってきたスタッフ・キャストを従えて、南米ペルーの高地で長期ロケを敢行。その後、膨大な量の撮影フィルムを抱えてメキシコの邸宅に引き籠り、1年4ヶ月にも及ぶ編集作業に悪戦苦闘しながら―その間、ホッパーはアルコールとドラッグ漬けの毎日を送り、元ママス&パパスの女性歌手ミッシェル・フィリップスとの2度目の結婚生活は、わずか8日間で破局を迎える―ようやく映画『ラストムービー』(1971)の完成にこぎつけた。

けれども製作配給元のユニヴァーサルはその出来が気に入らず、本来、映画の最終編集権はホッパー自身が保有するにも関わらず、再編集を要求して彼と対立。アメリカ公開に先立って出品されたヴェネツィア国際映画祭では、審査員特別賞に相当するCIDALC賞を受賞して好評を博したが、結局、フィルムに鋏が入れられることはなかった代わり、映画はNYとロスで2週間、サンフランシスコでは僅か3日間という最小限の限定公開がされたのみでお蔵入りにされてしまった。

かくしてホッパーは輝かしい栄光の座から転げ落ち、その後なし崩しにアルコールとドラッグの泥沼地獄へと沈み込んでいく。『ラストムービー』と名付けられたこの呪われた映画は、文字通り、危うく彼自らの「最後の映画」となりかかってしまったのである。

では一体、肝心の映画の中身はどんなものかというと、冒頭から、いきなり混沌渦巻く錯綜した物語が繰り出され、なるほど当時これを見た者が困惑したというのも無理はない(ホッパー自身の説明によると、「映画は、はじめと中間、そして終わりがあるべきだ。ただし、その順番通りである必要はない」と、ゴダールがどこかで発言しているのを読んだのが、この映画を作るきっかけになったという)。とはいえ、作品の全篇を通じて今日の観客は、映画、ひいては物質文明が人々にもたらす、ペストにも似た伝染性の毒に対する根底的な批判がなされていることが看て取れるだろう。

ホッパー自ら演じる物語の主人公カンザスは、映画のスタントマンとして、現在ペルーで撮影中のサミュエル・フラー監督の新作西部劇に参加している。

けれども彼は、ハリウッドの喧騒をそのまま現地に持ち込んで、連日乱痴気騒ぎを繰り広げるロケ隊の連中に嫌気がさし、撮影が終了して彼らが去って行った後も一人村に残って、ペルー人の恋人と同棲生活を始める。とはいえ、そんな彼自身、金採掘の夢に取り憑かれた友人(後に、その夢の源泉は映画『黄金』(1948 ジョン・ヒューストン)であることが判明する)や、堕落した物質文明の象徴ともいうべきアメリカ人の富豪夫婦とつきあううち、次第にその毒に染まっていくことになる。

またその一方で、ハリウッドの連中のロケ撮影に立ち会った現地のインディオたちにも、映画は魔性の力を及ぼさずにはおかない。彼らはやがて、見様見真似で木製のキャメラやマイクを作り上げ、映画の撮影ごっこを開始する(そのうちの一人は、フラーばりにサングラス姿に葉巻をくわえて映画監督を気取ってみせるものの、その姿はむしろ、どこかジェリー・ルイスに似ている)。けれども映画の虚構性というゲームの規則が理解できない彼らは、何と実際の殴り合いや本物の銃による撃ち合いを繰り広げていく。そして、いつしか彼らの"儀式"にさまよいこんだホッパーは、キリストさながら"映画という罪"を一身に背負い、自らを生け贄としてその贖罪に捧げることになるのである(元娼婦である彼の恋人が、あのマグダラのマリアと同じ名前であるというのも偶然ではあるまい)。

さらにホッパーは、これまで語ってきた物語自体がひとつの虚構にすぎないことをも最後に明かしてみせて、映画を締め括るのだが、そうした彼の気宇壮大で過激な試みは、結局ほとんど理解されることなく、まさしく彼は受難者として映画史の闇に葬り去られてしまったのである。

けれども周知のごとく、その後、ホッパーの映画生命は、キリストと同様、奇跡的な復活を遂げる。そして、彼の犠牲と引き換えに一度は償われたかに見えた"映画という罪"も再び息を吹き返し、それに殉じようとする者が次々と現われることになるのだ。

例えば、奇しくもホッパー自身が脇役として登場する『地獄の黙示録』(1979 フランシス・フォード・コッポラ)。

ヴェトナム戦争という20世紀のアメリカ文明最大の愚行を映画として再現すべく、フィリピンにまで出向き、自らも狂気すれすれになりながら悪戦苦闘するコッポラ監督の姿(その様子は、同作のメイキング『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(1991 ファックス・バー&ジョージ・ヒッケンルーパー)で充分窺い知ることができる)は、まさにホッパーの悪夢の再現といっていいだろう。

あるいはまた、野心的映画作家と映画会社との最終編集権をめぐる軋轢をこれ以上ないほどの規模で拡大・反復してみせた『天国の門』(1981 マイケル・チミノ)。『ラストムービー』ではホッパーひとりの命が縮んだだけなのに対し、『天国の門』では何と、名門映画会社のユナイテッド・アーティスツの方が潰れてしまった。さらにはホッパー自身、『ハートに火をつけて』(1990)[後に『バックトラック』として改訂]でまたぞろ同じトラブルを懲りずに繰り返し、等々...。

はたして"映画という罪"に対する「最後の審判」が下されるのは、一体いつのことになるのだろうか?


[2016.6.9 旧ブログ「In A Lonely Place」にアップ。初出:「American Film 1967-72「アメリカン・ニューシネマ」の神話」(ネコ・パブリッシング1998)を若干修正・加筆した。]