●『フェイシズ』(1968 ジョン・カサヴェテス)(蔵出し原稿)

2018年12月16日

ジョン・カサヴェテスが、幾多の試練を経て、真の意味での独立独歩の映画作家として決然と新たなステップを踏み出した、彼の第二の処女作ともいうべき傑作。

『アメリカの影』(1958)で、ニューヨークの街に生きる若者たちの姿を、街頭でのロケ撮影や即興演出など、従来の映画話法とは異なる斬新な手法で生々しく捉え、才能豊かなインディペンデント映画作家の誕生をジョナス・メカスから祝福されたカサヴェテスは、しかしその後、自らの意志で映画を作り直して論争を巻き起こし、メカスと決裂。

やがてハリウッドに招かれたカサヴェテスは、商業映画の監督を手がけることになる。けれども、俳優たちとの全面的協働作業の中から一歩一歩映画作りを進めていく彼のスタイルは、ハリウッド的な分業体制とは当然ソリが合わず、その上、知的障害の子供たちを題材にした『愛の奇跡』(1963)では、その描き方をめぐって製作者のスタンリー・クレイマーと真っ向から衝突。結局、彼は最終段階で監督を降板し、その後しばらく仕事を干されてしまう(クレジットには彼の名前が残されたものの、映画は彼の意向とは全く別物に再編集されて公開された)。

こうしてハリウッドでの映画作りに別れを告げた彼は、家に籠って何本ものスクリプトを書き溜め、その中の一つを当初は芝居にして上演しようと企画するが、最終的にはそれを自らの独立資本で映画として作り上げることを決意。カサヴェテス自身の家を舞台に、プロ・アマ混成のスタッフ・キャストとリハーサルを積み重ね(したがってこの作品は、決してその場の即興から生み出されたものではない)、1965年の初頭からほぼ毎晩、約半年間に渡って少しずつ撮影を進めていった。

その後編集は、やはり彼の家のガレージを改造した一室で行なわれたが、製作資金が予算を大幅に超過したため、それを捻出すべく、カサヴェテスは『特攻大作戦』(1967 ロバート・アルドリッチ)や『ローズマリーの赤ちゃん』(1968 ロマン・ポランスキー)などのハリウッド映画に雇われ俳優として次々に出演(後者で彼が扮した、いい役を得るために自分の妻をも悪魔に売り渡してしまうエゴイストの俳優を、批評家のジョナサン・ローゼンバウムは『フェイシズ』の完成に執念を燃やすカサヴェテスその人の姿になぞらえている)。結局、編集作業は実に3年間にも及び、最初に出来た6時間の長尺版から次第に縮めて1968年8月に現行の129分版に落ち着いた。


さて前置きが随分長くなったが、この『フェイシズ』という映画自体は、他の全てのカサヴェテス作品と同様、何の説明もなく唐突に始まる。いちおう物語としては、14年間連れ添ってきた一組の夫婦に不意に訪れた結婚生活崩壊の危機が描かれていくわけだが、作劇上の因果律や均衡、統一性などを大胆に無視した破天荒な構成と、そして何より、映画という枠組みを突き破って圧倒的に現前する登場人物たちの生々しい存在感と息遣いは、至るところで観客に強烈なパンチを食らわさずにはおかない。

夫は心の慰安を求めて、彼同様いささか人生にくたびれたビジネスマンたちと一人の高級娼婦を相争い、一方、妻は妻で、やはり欲求不満気味の近所の奥さん連中と、あるジゴロの青年をめぐって張り合う。彼らはみな、心の奥底の孤独や不安を必死で押し隠すかのように、ひたすら無意味な饒舌や馬鹿笑い、子供じみた乱痴気騒ぎなどを延々と繰り広げるのだが、そのうち、ある一人がふと本音の一言を漏らすと、その場の澱んだ空気がたちまち一瞬にして凍りつき、耐え難い沈黙と空虚の中で、彼らの間をどうにも埋め尽くせない深い溝が広がっていく。


キャメラはそうした彼らの、笑いや怒り、驚き、放心、孤独に絶望といった、さまざまな表情を浮かべる「顔、また顔=faces」を、容赦なくクロースアップで曝け出していく。と同時に、あるのっぴきならない事態に「直面=face」して、果敢に自らを新しい可能性へ賭けてみる人々の生の変容ぶりをもじっくり見届けることになるのだ(とはいえ、その代償は決して安くはない)。例えば、ジゴロをめぐる人妻同士の壮絶かつ陰惨な闘いの場面では、青年にすっかりのぼせ上がり、なりふり構わず彼を自分のものにしようとする、実に強烈なオバサンが登場する。その姿は見ていて何とも滑稽かつ痛ましい限りなのだが、カサヴェテス本人は、彼女についてこう述べている。

  • 「彼女を見るたびに、僕は感激で胸がいっぱいになる。彼女はあらゆることを何でも試してみて、いかにそれが馬鹿げていて哀れに見えるかなんて、これっぽっちも気にしない。肝心なのは、彼女がトライしたということさ。苦境の中でも彼女は闘ったんだ。彼女はこれからも諦めないだろう。それに、闘って自らの幻想に気づく方が、自分から闘って負けることの方が、ただ愚痴をこぼしたり、黙って嘆き暮らすより、いいと思わないかい?」

この言葉はまた、ジゴロの青年と一夜を共にした後、不意に自殺を図るヒロインの人妻にも、そして何より、自分の信念ある生き方を生涯貫き通したカサヴェテス自身にも、そのまま当てはまるだろう。そしてこの映画を見るたびに、僕らも自らの人生と正面から向き合う勇気を与えられることになるのだ。


[2017.10.22  拙ブログ「In A Lonely Place」にアップ。初出は、「American Film 1967-72「アメリカン・ニューシネマ」の神話」(ネコ・パブリッシング 1998)]