●「ラロ・ランド」へようこそ ― ラロ・シフリンの華麗なる音楽世界(蔵出し原稿)

2020年06月25日

WOWOWの人気音楽番組、「オフビート&JAZZ」でつい先日、「ラロ・シフリン ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー 1994」が放送され、長年のシフリン・ファンである筆者も、あくまでTV画面を通してではあるが、2時間半近くに及ぶ盛り沢山の内容のコンサートを、存分に堪能した。

[この放送は、既に終了しています。どうかお間違えのないように。それと、この「オフビート&JAZZ」の番組自体が終了してしまい、筆者自身、何とも残念...。]

https://bit.ly/2NuJJSN


前回、『ゾディアック』(2007 デイヴィッド・フィンチャー)について書いたことでもあるし、その流れを引き継いで、今回も、映画『ダーティハリー』(1971 ドン・シーゲル)はもとより、ドン・シーゲルやクリント・イーストウッドとも密接な関わりがあるこの重要人物ラロ・シフリンについて、気楽に書き進めることにしよう。題して「Welcome to the Land of Lalo」。「ラ・ラ・ランド」ならぬ、「ラロ・ランド」へようこそ。


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映画ファンならば、既に御存知の通り、ラロ・シフリンといえば、映画音楽界きっての人気作曲家のひとりにして、ジャズやクラシック、ポピュラー音楽の世界でも、ピアニスト、作曲家、編曲家、さらには指揮者として活躍するマルチな才人。もし仮に、名前を聞いただけではあまりピンとこない人でも、彼が音楽を手がけた映画やTVの作品の題名をほんの幾つか挙げるか、そのお馴染みのメロディを少し流すだけで、ああ、あの人ね、と、すぐさま分かるはずだ。

というわけで、ここではイントロ代わりに、まずはこの曲から軽快にスタートすることにしよう。

https://bit.ly/3dukFG9

そう、懐かしの人気海外TVドラマ「スパイ大作戦」シリーズ(1966-73)のお馴染みのテーマ曲にして、トム・クルーズ主演の大ヒット映画『ミッション:インポッシブル』(1996- )シリーズのテーマ曲にもそのまま引き継がれているゴキゲンのメロディですね。

続いて、これを聞けば、誰もが皆、無敵のドラゴンになった気分になって全身に闘魂みなぎること間違いなしのブルース・リー映画の決定版、『燃えよドラゴン』(1973 ロバート・クローズ)の熱いテーマ曲を。

https://bit.ly/31hv0mm


スタート早々、熱くなりすぎた心を、いったんここでクールダウンさせるには、あまりにもスタイリッシュでカッコいいタイトル・シークエンスをバックに、シフリンならではのドライブの効いたリズムが徐々に徐々に盛り上がる、スティーヴ・マックィーン主演の『ブリット』(1968 ピーター・イェーツ)の冒頭部を。

https://bit.ly/2VhpvjR


そして、ここで御存知、『ダーティハリー』のテーマ曲を。

https://bit.ly/2zZfcJI

さらに、やはり『ダーティハリー』から、前回紹介した実在の連続殺人鬼〈ゾディアック〉をモデルにした、アンディ・ロビンスン演じる〈さそり〉の不吉なムード満点のテーマ曲を。

https://bit.ly/3dxwafS


シフリンの簡単な紹介は、ひとまずこれで充分だろう。

というわけで、映画ファンの御多分に漏れず、筆者にとっても、シフリンの音楽は、物心がついて映画好きになった頃からごく自然に耳馴染みとなったものばかりで、個人的にシフリンは、数あるお気に入りの映画音楽家たちの中でも、エンニオ・モリコーネやミシェル・ルグランなどと並んで、別格のランクを占める大切な存在のひとり。そしてモリコーネやルグランと同様、シフリンもまた、幼少期からクラシック音楽の英才教育を受け、さらにはまた第2次世界大戦後、アメリカから流入してきたジャズの感化と洗礼を受けたことが、その独自の華麗で多彩な音楽世界を形作る上で決定的な役割を果たしている。

1932年、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに、同地の交響楽団のヴァイオリン奏者にしてコンサート・マスターである父親の下に生まれたシフリン(ちなみに、モリコーネは、1928年、イタリアのローマ生まれ。ルグランは、シフリンと同じ1932年、フランスのパリ生まれ)は、幼少期からピアノ演奏とクラシック音楽を学び、20歳の時、パリの国立高等音楽院に留学してオリヴィエ・メシアンらに師事する一方で、十代の半ばからジャズの魅力にも目覚めてチャーリー・パーカーやセロニアス・モンクらの音楽に熱中し、パリ留学中は、ナイトクラブでジャズ・ピアニストとしても活動。

フランスから母国アルゼンチンに帰国後、自らのジャズ・オーケストラを結成したシフリンは、演奏で同地を訪れた人気ジャズ・トランぺッター、ディジー・ガレスピーに才能を見出され、やがてアメリカに移り住んで彼の楽団のピアニスト兼、作編曲家として活躍し、「ガレスピアーナ」などのアルバムを生み出す一方、ジャズとボサノヴァ、ラテン音楽を基調とした自らのリーダー・アルバムも、精力的に発表する(それらの初期のシフリンのアルバムは、いまやありがたいことに、廉価版のCD-BOXにどんと一括してまとめられて、容易に聴いて楽しむことが出来るので、興味のある方はぜひどうぞ。これはホント、お買い得)。

そして、シフリンが当時契約を結んだ音楽レーベルのヴァーヴが、ハリウッドの大手映画会社MGMの傘下にあったことから、彼のもとに映画音楽の仕事が舞い込むようになると、先にも紹介したように、斬新で刺激満点の独自のリズムとメロディを次々と生み出し、たちまち売れっ子の映画音楽家となって、優に百本を超える映画の作曲を担当。また、それと並行して、人気TVドラマの作曲や、自作曲や既成のヒット曲を巧みにアレンジした自身のアルバム制作、さらには、オーケストラの指揮なども手掛け、八面六臂の活躍を披露するようになるのである。

その独自の強烈なグルーヴとリズムをベースに、そこにクラシックとジャズ、ラテン、さらには、ロックやファンク、ディスコ、電子音楽まで、なんでも融通自在にかけ合わせてクロスオーヴァーさせる、シフリンの絶妙のアレンジの才能は、南米と北米大陸、そして欧州や(オリエンタル色全開の『燃えよドラゴン』など)アジアまでを股にかけた、コスモポリタンの彼ならではの賜物と言えるだろう。


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約半世紀にも及ぶシフリンの息が長くて幅広い音楽人生と精力的な活動ぶりを、ここでコンパクトに要約して紹介するのは、なかなか至難の業。それにだいいち、筆者自身、無類のサントラ・マニアやコレクターとは言い難く、彼の仕事のすべてを到底フォローできているわけでもないが、個人的な興味からすると、何といってもシフリンとドン・シーゲル、そしてクリント・イーストウッドという3人相互の、映画における実り多き協働作業の実態が最大の関心事。シフリンは、監督シーゲル×主演イーストウッドのコンビ作には、『マンハッタン無宿』(1968)を皮切りに、『白い肌の異常な夜』(1971)、『ダーティハリー』の3本、そしてイーストウッド抜きのシーゲル監督作として、『突破口!』(1973)、『テレフォン』(1977)の2本、さらにはシーゲル監督抜きのイーストウッド主演作として、『戦略大作戦』(1970 ブライアン・G・ハットン)、『シノーラ』(1972 ジョン・スタージェス)、『ダーティハリー2』(1973 テッド・ポスト)、『ダーティハリー4』(1983 イーストウッド)の4本と、これらを合わせると総計9本もの作品の映画音楽を手掛けていることになる。

イーストウッド映画につけた自らの映画音楽について、シフリン本人が語っている英文の短いインタビュー記事が、以下のサイトで読めるので、興味のある方はぜひどうぞ。

https://bit.ly/3exJmmn


ここでシフリンは、自分の仕事に関しては、ほかならぬ彼自身が一番厳しい批評家で、自分がしたことで何か気に入らない点があれば、真っ先に自分がそれを認めると述べる一方で、『ダーティハリー』を実に久しぶりに見返してみて、彼の映画音楽が今なお古びることなく、有効に作用して映画に良き貢献を果たしている点に感銘を受けたと率直に語っている。またシフリンは、イーストウッドがジャズの愛好者であることを知ったのは、『マンハッタン無宿』や『ダーティハリー』などで彼と一緒に映画を作っていた時よりも実はずっと後のことで、1994年のカンヌ国際映画祭で、イーストウッドが審査員長、そしてシフリンが審査員として共に顔を揃えた際、その責務としての日課を終えた後、シフリンは毎晩、イーストウッドの別荘で彼と一緒にピアノ演奏を楽しみ、そこでイーストウッドがジャズ・ピアノの見事な演奏者であることに気づいた、と告白している。

これに対して、イーストウッドの方は、夭折した天才ジャズ・ミュージシャン、チャーリー・パーカーの生涯を描いた監督作、『バード』(1988)のカンヌ国際映画祭での上映時に行われたあるインタビューで、『ダーティハリー』の撮影中、シフリンとは始終パーカーのことについて語り合い、イーストウッドが、かつてパーカーの生演奏を初めて見た時の思い出話を披露すると、やはりパーカーの熱狂的ファンであり、彼の生きた姿を見るのが人生の最大の望みの一つであったものの、残念ながらその夢を叶えることが出来なかったシフリンは、俄然興奮して、「本当にパーカーを見たのか?」と信じられないように問い返したことがあった、と物語っていて、両者の話はどうも食い違っているのが、何とも面白くて興味深いところ。

ちなみに、シフリンは、2007年にフランスのパリで行った、自らの作曲した映画音楽を中心にしたコンサートで、イーストウッドの息子で人気ジャズ・ベーシストのカイル・イーストウッドをゲスト・ミュージシャンに迎えて、「ダーティハリー組曲」の演奏を自らの指揮する交響楽団と一緒に披露し、満場の聴衆の喝采と拍手を浴びている(その時のライブ・アルバムは、去年フランスで発売されたシフリンの5枚組、計9枚分のアルバムとボーナス・トラックを満載したファン必携のCD-BOX、「THE SOUND OF Lalo Schifrin」の5枚目のディスクに収録されている)。

[追記:なお、このカイル・イーストウッドが、昨2019年、お馴染みのさまざまな映画音楽を自らのレギュラー・バンドの演奏でカヴァーした、「CINEMATIC」という題のアルバムを発表している。このなかなかカッコよくてゴキゲンなアルバム中の曲もどれか、先に3回続けたサントラ紹介の中でぜひ取り上げて紹介したいと思っていたのだが、ほかにもあれこれ書くべきネタが多すぎて、やむなく割愛せざるを得なくなってしまった。そこで、この場を借りて、その雪辱戦を。既に今回の拙文の冒頭の方でも、オリジナル版の映画の一場面を紹介済みだが、ここで改めて、カイルらのカヴァー演奏による、シフリン作曲の『ブリット』のテーマ曲をどうぞ。

https://bit.ly/3g1OIH7 ]

さて一方、シーゲルとシフリンのコラボの方に目を向けてみると、1993年に死後出版されたシーゲルの自伝「A SIEGEL FILM」の中でシーゲルは、「ラロ・シフリンは映画業界の中で最も才能豊かな作曲家のひとりである。彼は卓越した指揮者であり、際立ったピアニストであり、そして映画についてとてもよく知っている。それに加えて彼は、シーゲルの熱狂的ファンのひとりでもあり、我々は親友である」と書き綴っている。

そのシーゲル自伝の中で、『ダーティハリー』や『白い肌の異常な夜』のシフリンの映画音楽については一言も言及されていないのが、なんとも残念で惜しまれるところだが、その代わりにシーゲルは、『突破口!』におけるシフリンの音楽面での多大な貢献について、それなりに大きな紙幅を割いている。この会心の傑作『突破口!』において、元曲乗りのスタント飛行士にして銀行強盗のウォルター・マッソーと、殺し屋のジョー・ドン・ベイカーが、それぞれ小型の複葉飛行機と自動車を操縦しながら熾烈な逃走・追跡劇を繰り広げる、あの手に汗握るクライマックス・シーンの撮影と編集を終えたシーゲルは、シフリンにその場面のラッシュを見せた後、それでもまだ決定的な何かが足りない、君の助けと想像力、即興がぜひとも必要だ、と助力を求めたという。

するとシフリンは、しばし考え込んだ後、飛行機用の音楽には飛行機のモーターと同じピッチのものを、そして自動車用の音楽にはやはり自動車のモーターと同じピッチの音楽をつけて、飛行機と自動車が一緒に映る時には、音楽も両者がピタリと一致するようにし、キャメラが車から飛行機へと向きを変える時には、車の音響から飛行機の音響へと切り替わるようにする。そして時には、飛行機のモーターの音響は抜きで音楽だけを付け、あるいは逆に、音楽の方は抜きで飛行機のモーターの音響だけを付けてみるというのはどうだろう? と奇抜で斬新な妙案を思いつき、かくして、シーゲルの切れ味鋭いアクション演出と編集手腕に、シフリンの絶妙の音楽と音響効果がさらに加わり、数多あるシーゲル映画の名場面の中でも、ひときわエキサイティングで刺激満点の屈指の名場面がここに誕生することになった。その息詰まる場面が一段落したところで、ベイカーが「わーお」と息をつくひとコマが劇中に登場するが、やはり固唾を吞んでそれを見守っていた我々観客も皆、ここで必ずや息を大きく吐き出したくなるに違いない。

シーゲルとシフリンとのコンビ作は、『ダーティハリー』を除くと(ただしこの超有名作も、オリジナル・サントラ・アルバムが単独で発売されたのは、ようやく2004年になってからのこと)、この『突破口!』や『白い肌の異常な夜』、それに『マンハッタン無宿』のいずれも、映画公開当時から、サントラ化されることがないまま長い歳月が過ぎていたが、2012年に、シフリンの長年の音楽人生を、映画音楽を中心にざっと集大成した4枚組のCD-BOX、「My Life in Music」の中に上記作の一部の楽曲が収録され、ようやくファンの飢えを満たすことになった。この豪華アルバムも、ファンは必携のマスト・アイテムと言えるだろう。


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ここで再び最初の話題に立ち返ると、冒頭に紹介した、WOWOWの人気音楽番組「オフビート&JAZZ」で放映された「ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー 1994」というコンサートは、シフリンが1992年に発表した「ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー」と、その翌年発表の「モア・ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー」という2枚のアルバムの収録曲を中心に、楽曲リストが構成されたもの(なお、「ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー」と題したこのシフリンの人気アルバム・シリーズは、それ以降も次々と発表され、目下のところ、2011年に発表された7枚目まで継続している)。

その中には、映画『女狐』(1967 マーク・ライデル)のテーマ曲なども含まれているものの、ここでは映画音楽よりもむしろ、ジャズの数々の名曲をシフリンが彼一流の味付けで巧みにアレンジして、メドレー形式で演奏するスタイルのものが主体となっていて、それはそれで聴きどころ充分。

この時、既に還暦を超えていながらも、オーケストラの指揮とピアノのソロ演奏を自在に行き来するシフリンの元気な姿は、「エコーズ・オブ・デューク・エリントン」と曲名の一つにもある通り、どこかエリントンを彷彿とさせ、このシフリンの「ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー」のシリーズは、かつてエリントンらの天才バンド・リーダーたちが活躍したビッグ・バンド時代のジャズの伝統を、現代に蘇らせる試みの一つと言えるかもしれない。そしてまた、「アランフェス協奏曲」などを含むマイルス・デイヴィスの名曲のメドレーは、これまた先輩同業者ギル・エヴァンスに対する、シフリン流の返歌なのだろうか。

なお、「オフビート&JAZZ」のナビゲイター、ピーター・バラカン氏も番組の中で紹介している通り、この「ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー 1994」コンサートの最初に演奏される曲「Down Here on the Ground」は、もともとシフリンがポール・ニューマン主演の映画『暴力脱獄』(1967 スチュアート・ローゼンバーグ)のために書いた哀愁溢れるテーマ曲。その『暴力脱獄』が、近日WOWOWで放映されるので、最後にこれも紹介しておくことにしよう。未見の方は、シフリンの印象的な映画音楽と合わせ、カルト的な人気を誇るこの映画の愉快な見せ場、煽情的な洗車の場面と卵食い競争をぜひ存分にお楽しみあれ。

[この『暴力脱獄』のWOWOWでの放送も既に終了してい るので、代わりに、YouTube動画で、当該場面をどうぞ。

https://bit.ly/3fWqjT2

https://bit.ly/3fPIn18 ]


[2017.3.19 旧ブログ「In A Lonely Place」にアップしたものに若干手を加えた。]