●“落ち穂拾いのような”知られざる日本映画史発掘・探訪の試み ―  KCD上映会/「異能の日本映画史」(木全公彦)

2019年07月22日

ここ数年、月に1度、都内の某所で開かれている上映会で、先日、なかなかレアな旧作邦画を見てきたので、折しもつい最近刊行されて一気に通読した木全公彦氏の無類に面白い映画本「異能の日本映画史」と併せて、ざっと簡単な紹介と報告を書くことにしたい。

この上映会、その名をKadokawa Cinema Dig、略してKCDといい、基本的には現在、株式会社Kadokawaが保有するかつての大映の埋もれた旧作邦画を、積極的に発掘上映・鑑賞しようという集まり。埋もれた大映映画といっても、いまさら、溝口健二、市川崑、増村保造といった巨匠・名匠たちの、案外知られざるマイナーな作品を上映する、といった生易しい代物ではない。

かつて、大映のプログラム・ピクチュアの1本として封切られた後、これまでソフト化されることはおろか、名画座や映画祭で再上映されたり、テレビで放映されたりする機会もほとんどなく、長い間、陽の目を見ずに忘れ去られてきた膨大な数のマイナーな作品群の中から、映画の世界の表も裏も知り尽くした目利きの選定者たちが、あれは誰それのデビュー作だから、ぜひ見たい、とか、これはこの監督とこのキャストの組み合わせだから、きっと面白いに違いない、といった具合に、独自の勘と嗅覚を働かせて、これぞという1本を選び出し、そのとっておきの蔵出し作品を試しに上映・鑑賞するというのが、このKCD上映会の趣旨。そしてまた、その時々の作品選定者と会の主催者たち以外、その日に一体何が上映されるかは、当日実際に会場に足を運ぶまで分からない、開けてビックリ玉手箱風のスニーク・プレヴュー方式。

今年惜しくもこの世を去った大女優・京マチ子の大映入社第1回作品である『最後に笑う男』(1949 安田公義)や、トルストイの原作を京マチ子と小林桂樹の共演で翻案映画化した『復活』(1950 野淵昶)、そして川端康成原作の『浅草紅団』(1952 久松静児)といった初期の彼女の若く溌溂とした姿をこのKCDの上映会で初めて目にすることが出来たのは、作品の出来の良し悪しは別にして、一映画ファンとして何より有難くて嬉しい限り。

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あるいはまた、谷口千吉監督が、本来ならやはり東宝で三船敏郎と組んで撮るべきはずの題材を、なぜか森雅之を主演に迎えて大映で発表した『魔の黄金』(1950)。 

この珍品では、森雅之が砂金の山を掘り当てた髭面の山師に扮してワイルドな演技を披露し、当日会場に参集した映画ファンたちを思わず仰天・卒倒させたわけだが、その劇中で描かれるのとは対照的に、このKCDの上映会において、過去の埋もれた鉱脈の中からいざ黄金を掘り当てるのは、なかなか至難の業。目利きの選定者たちが篩にかけて選び出した蔵出し作品の中には、監督や主役陣が単体では今一つネームヴァリューに欠けたものも多く、内容的にもどうも期待外れのまま、終わってしまうケースも実は結構あって、その会ごとに、当たるも八卦、当たらぬも八卦となるのは、どうにも致し方のないところ(筆者がこれまでこの上映会で見た中で、個人的に一番大当たりだったのは、女優陣のアンサンブルが実に素晴らしくて思わず唸らされた『屋根裏の女たち』(1956 木村恵吾))。

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そして、こういう特異な上映会に集まる参加者たちも、常日頃から名画座やロードショー館などをハシゴして渡り歩いては古今東西の映画をしらみつぶしに見まくっている、年季の入った映画ファンの猛者(いわゆる"映画獣"ですね)や、名にし負う名画座女子たちばかり。知り合いの先輩同業者に誘われて、筆者もこのKCDの上映会に途中から参加し始めたものの、正直、あまりパッとしない退屈な作品に何度か続けてぶち当たった時には、さすがにこちらも気力が萎えて、そろそろこれに通うのはやめにしようか、と思ったことも一再ならずある。

ただ、そんな時でも、上映会が終わった後の打ち上げの席におずおず加わると、その日見たばかりの映画を肴に、皆が活発にあれこれ映画談議を交わし、映画自体はつまらなくても、でもあの場面に一瞬顔を出した脇役の誰それが良かったとか、あの場面はどの映画とよく似ていたとか、さまざまな細部をめぐって、固有名詞が幾つも会話の中をぽんぽんと行き交うさまに間近で接することができるのは、やはり何事にも代え難い貴重な体験学習の場であることは間違いなく、何かと選り好みが激しくて映画の見方もまだ狭く、食わず嫌いのまま未踏の開拓地も数多く残っている筆者としては、まだまだ至らない昨今駆け出しの未熟者と、反省することしきり。映画修行の道は、なお前途遼遠で険しく厳しい。嗚呼!

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さて、そんな具合に筆者自身、何度か脱落しそうになりながら断続的に通っているKCD上映会で、今月お披露目上映されたのが、「ただただ、叶順子を目一杯見た~い!!」という、さる娯楽映画愛好家の常連出席者の切なるリクエストに応えて実現した叶順子の主演作『女は夜霧に濡れている』(1962 井上芳夫)。

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「叶順子は、大映第四の女優です。京マチ子、山本富士子、若尾文子の三女優の後に続きます」と「今月の選定者よりヒト言」で紹介されているが、2018年から翌年にかけて、Kadokawaが大映創立75年記念企画として都内の映画館で開催した「大映女優祭」のチラシの図案が、この言葉を端的に明示し、裏書きしていると言えるだろう。

そして以下は、2009年にラピュタ阿佐ヶ谷で開催された叶順子特集のチラシ。

このKCDでは過去にも、叶順子のデビュー作である『朝の口笛』(1957 枝川弘)や、こちらは伊丹十三(当時は一三名義)のデビュー作で、叶順子も共演している『嫌い嫌い嫌い』(1960 枝川弘)などが上映されてきたが、それらの作品での彼女の出番が案外少なかったのに比べると、今回の『女は夜霧に濡れている』は、まぎれもない叶順子の主演作。翌年の1963年、彼女は惜しまれつつも女優業を早々に引退して映画界から去ってしまうだけに、今回の上映で彼女の旬の姿を存分に拝めたのは、増村映画好きの筆者にとっても嬉しいサプライズだった。

この『女は夜霧に濡れている』の中で叶順子演じるのは、安倍徹扮する妻子持ちの男の囲われ者となり、瀟洒なアパートの一室で二号として暮らすヒロイン。そんな生活にやり切れなさを覚える彼女は、藤巻潤演じる建築家志望のフレッシュな大学生と知り合い、お互いに心惹かれ合う一方で、かつて恋人だった彼女を捨てて外国へ留学し、いまや新進気鋭の建築家となって帰国した田宮二郎と奇しくも再会。藤巻潤が応募した建築コンペの合否判定の鍵を握る田宮二郎は、その立場を利用して、叶順子に復縁、というより一夜の相手を務めるよう、ネチネチといやらしく迫るのだった......という、この映画の男女のすれ違いのメロドラマは、その後、増村保造監督が、やはり叶順子と田宮二郎を主役陣に起用し、本作と似たような物語的要素を、その配置を巧みに移し替えながらより鮮烈に描き出した『黒の試走車』(1962)のことを、つい想起せずにはいられない。

そしてまた、『女は夜霧に濡れている』の中で叶順子の親友として登場する、岸田今日子扮するバーのマダムには、どこか同性愛者的な雰囲気がつきまとい、これまた増村監督がその後岸田今日子を同様の役柄に起用して谷崎潤一郎の原作を映画化する、『卍』(1964)の世界とも微妙に相通じていて、この日、上映会後の打ち上げの飲み会の席で、異口同音にそれを指摘する声が相次いだのには、皆考えることは同じ、と思わず苦笑させられたのだった。

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さて、ここらでそろそろ、木全公彦氏の新刊書「異能の日本映画史」の紹介へ話題を移すことにしよう。この本は、昨年刊行された「スクリーンの裾をめくってみれば」に続いて、木全氏がウェブサイト「映画の國」に連載していた名物コラム記事を中心にして編んだ、なんともユニークですこぶる面白い映画本。

前著の副題が「誰も知らない日本映画の裏面史」とあったのに続いて、本書の副題は「日本映画を読み直す」と銘打たれ、さらに本の帯(ここでは腰巻と呼んだ方が、お似合いか)には、「落ち穂拾いのような画期的映画論」と、その内容をコンパクトに伝える惹句が記されている。

その言葉通り、この「異能の日本映画史」もまた、これまで映画の正史がなおざりにし、さらには、なかなかソフト化されず、ふだん見る機会も滅多にないだけに、いっそう周縁へと追いやられて、不幸かつ不当にも長年忘れ去られてきた、知られざる映画人や映画作品などにスポットライトを当て、わずかな手がかりをもとに当時の資料をこつこつと拾い集め、さらには能う限り関係者たちにも取材を重ねて、その埋もれた業績を丹念に掘り起こして今日にいきいきと蘇らせた好著。

近頃、昭和の渋いオジサマの一人として人気が再燃している佐分利信の、映画監督としての知られざる才能と力量に着目した第1章を皮切りに、1953年の五社協定締結の合間を縫って、数多くの人気スターたちの引き抜きや契約斡旋に暗躍した〈俳優ブローカー〉の星野和平のこと、さらには、吉田喜重や大島渚といった大物監督たちの陽の目を見ずに終わった幻の国際的合作企画や、監督・鈴木清順×主演・武田鉄矢という異色の顔合わせで始まったはずの映画企画が、流転の運命の末に、当初の顔ぶれとはすっかり様変わりする形で企画が実現した『時の娘』(1980 内藤誠)の製作舞台裏秘話など、幅広い題材が次々と俎上に載せられ、意外な驚きと発見に満ちた興味深いエピソードが全篇にわたっててんこ盛り。本来なら貴重な労作と呼ぶべき中身の濃い一冊だが、その言葉がつい連想させるお堅い学術研究書などとはあくまで一線を画し、氏の語り口や文体は軽妙かつユーモラスで、サクサク読めるのが何よりの利点(ただし、前著に続く矢継ぎ早の刊行を狙った突貫作業がやはり裏目に出たのか、誤植が結構目立つのは、何とも勿体なくて惜しまれるところ)。

第9章では、『真昼の惨劇』(1958 野村企鋒)という、まるで未知なる1本の旧作邦画との遭遇をきっかけに、日本の映画界におけるレッド・パージの知られざる歴史がするすると繙かれていくあたりの意外な展開も、まるで現代の怪奇譚か松本清張ばりの社会派ミステリーめいていて、なんともスリリングで面白く、なおかつ大いに勉強になるが、ここで木全氏がその謎めいたマイナー映画と運命的に遭遇する出会いの場となったのが、かつて東京は三軒茶屋の西友の5階にあった、「スタジオams」という実にユニークな映画上映スペース。

その章の冒頭にも詳述されているように、1985年から90年代の半ばにかけて、ここは、都内の名画座さえも上映しないレアでマイナーな旧作邦画のプログラム・ピクチュアをあれこれ日替わりで上映していて、それについ惹き寄せられるようにして、いつしか"映画獣"たちがせっせと日参する、特殊なたまり場と化すようになっていた。そしてここに常連客として通い詰めた、木全氏や、今は亡き田中眞澄氏らの見巧者たちが、そこで上映された玉石混淆のさまざまな旧作邦画の中から、鈴木英夫監督の作品群の面白さに目敏く気づき、同監督の特集上映を改めてやって欲しいと熱烈なラブコールを送ったことが、現在における鈴木英夫評価のすべての始まりだったことも、そこには短く書き記されている。

実は何を隠そう、筆者も当時、この「スタジオams」には幾度も足を運んではいたものの、まだまだ青臭い若輩者だったこちらは、その時分はまだ今日ほど容易には見られなかった清水宏や吉田喜重の監督作などを懸命に追いかけるのがせいぜい。鈴木英夫の映画は、その時はニアミスで遭遇し損ね、結局、巷の評判で彼の存在を知り、その作品を意識して追っかけるようになったのは、それよりもっと後になってからのこと。無論、『真昼の惨劇』なる作品のことも、当時は一切視野には入っていなかった。

有名無名を問わず、上映作に片っ端から目を通した上で、しっかりと玉を見極めて選り分けるなどという高度でなおかつ根気のいる離れ業は、今日に至ってもなお、なかなか出来そうにない。

この「スタジオams」はいわば、今回の拙文の前半に紹介したKCD上映会の場とも相通じる特異な実験場であり、既によく知られた監督やスターといった表看板を取り外し、あくまでプログラム・ピクチュアの1本として作られた未知の映画作品自体とまっさらな形で向き合う、映画鑑賞の原点としての実践的修練の場であった、と言えるかもしれない。そして、筆者自身はその間、一向に成長することを知らずに、同じ地点をいつまでもぐるぐる回り続けているだけなのかも。うーむ、やれやれ。

その一方で、KCD上映会や「スタジオams」が、さも特権的な場であるかのようについ書き連ねてきたが、しかし改めてよく考えてみれば、映画上映スペースとしての「スタジオams」が残念ながら幕を閉じ、21世紀に入ってからも数多くの映画館が消滅する中、名画座文化はどっこいしぶとく生き延び、「スタジオams」の精神を受け継ぐ形で、今も都内では幾つかの名画座が、有名無名を問わず、数多くの旧作邦画のプログラム・ピクチュアを連日日替わりで上映し続けている。新たに発掘・発見されるべきものは、実は案外、まだ身近なところに数多く転がっているのかもしれない。

いまや、例えば、フィルム・ノワールや鈴木英夫の作品群抜きでは、映画の歴史が語れないように、長年なおざりにされ、忘れ去られてきた映画史の闇の中から、落ち穂拾いのようにして発掘・発見されたものが、遅まきながらその効力をじわじわと発揮して、従来の物の見方やパースペクティヴの変更・更新を促し、そこにまた新たな地平線が開けてくる。

少し先の話になるが、この秋にシネマヴェーラ渋谷で開催される「玉石混淆 !? 秘宝発掘! 新東宝のとことんディープな世界Ⅳ」特集に備えて、

https://bit.ly/2LvUMwl

今年ついに刊行されたダーティ工藤氏編の労作「新東宝1947-1961」を今のうちにしっかり熟読して予習しとこうっと。