遅まきながらの暑中の挨拶、および、『危険な場所で』(1951 ニコラス・レイ)(蔵出し原稿)

2019年08月11日

* いまはお盆休みの最中。既に立秋を過ぎ、暦の上では夏を過ぎて、これから秋の気配が......ということに、本来はなるはずなのに、今年は、長らく続いた梅雨がようやく明けたかと思うと、今度は一気にヒートアップして、ひたすら猛暑、酷暑地獄が連日続き、まだまだ残暑といった生易しい表現には程遠いのが実情。

ホントにもう、毎日毎日こう暑くては、げんなりぐったりで、たまりませんな、こりゃ。一体この時期、皆さんはどうこの暑さをしのいでお過ごしなんでしょうかね。何かこれは、といういい対処法があれば、ぜひお知恵を拝借したいところ。日本もいまや、オリンピックなどより、国を挙げてバカンスが必要なのでは、と切に思うのですが、いかがなものでせう?

というようなわけで、今回もまた、恐縮ながら、2年前のこの時期に旧ブログに書いた記事を蔵出しすることで、お茶を濁させていただくような次第。あーあ、早く涼しくなってくれないかな。


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このところ、本サイトの更新のペースがやや滞りがちで、当ブログの定期訪問者の方々には何とも恐縮で申し訳ないが、最近はどうも、夏バテにすっかりやられて苦しんでいるところ。

筆者にとって、ホント、夏はどうにも苦手な季節で、毎年この時期になると、気力・体力ともにすっかり減退し、朝から生あくびや溜息を連発して気息奄々となりながら、さて今日一日をどう乗り切ったものか...と思い悩み、気持ちを高めて集中力を長く保つのにひと苦労させられる、というのが、恒例のパターン。

今年はどうやら異常気象で(というか、やはり今年も)、うだるような例年の猛暑が少ない分、どうにか助かってはいるものの、それでも連日、梅雨時に逆戻りしたようなすっきりしない曇り空とムシムシジメジメした高温多湿にやんわり責め立てられて、蛇の生殺し状態になっているところへ、先日は、東京都内でも久々にちょっとした地震があって、夜の寝入りばな、さらには翌日の朝方と、2度にわたって浅い眠りから叩き起こされる始末となり、すっかり閉口。日頃から寝不足と眼精疲労が溜まっているところへ、さらなるダブルパンチを食らい、その日はもう、目が真っ赤に充血して、まるでクリストファー・リー扮するドラキュラ伯爵さながら、自分でも驚くほど何ともおっかなくて危ない顔つきへと変貌してしまった。

(やはり夏は怪談がお似合いでホラーに限る、なんてね ハハ)

これで人前に出るのはさすがにマズくて憚られると、その日は外出を控えるはめとあいなったものの、それでこちらがすっかり吸血鬼と化したわけでは無論なく、いちおう最近も、仕事がひと段落して多少体が空いているうちにと、試写会や劇場に足を運んで、それなりに新作にもぽつぽつ目を通してはいる。ただ、やはりどうも、このところのこちらのダウナーな気分・体調も手伝っているせいなのか、なかなかこれはと思うものにめぐりあえぬまま、つい取り留めもなく無為に時間を過ごす中、先日久々に、おおっ、こいつは滅法面白いじゃん! という邦画の新作に遭遇し、これはぜひ筆者も激推しの文章をがっつり書かねば、という思いに掻き立てられたのだが、劇場公開まではまだ多少の間があるので、これは先の宿題ということにさせてもらって、読者の方々にはどうか今しばらくお待ち願いたい。

[* ⇒ これは『散歩する侵略者』(2017 黒沢清)のことで、その映画評は2019.6.23 付で既に蔵出しして、再掲済みです、はい]

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で、いよいよネタ切れで、さてどうしようと考えあぐねていたところへ、東京の名画座シネマヴェーラ渋谷で既に先月から開催中のフィルム・ノワール特集第2弾「フィルム・ノワールの世界Ⅱ」で、『孤独な場所で』(1950)&『危険な場所で』(1951)という、我が愛するニコラス・レイ映画の強力2本立てを昨日は上映していたものだから、ついつい劇場まで足を運び、案外若い観客たちが大勢詰め寄せてほぼ場内満席の混雑となる中、久々にスクリーンの画面を通してレイの映画世界にどっぷりと浸り込み、またもや性懲りもなく滂沱の涙をどっと流すはめとなったような次第。

『孤独な場所で』に関しては、その原題をそのまま拝借した当ブログで既に何度も繰り返し言及してきた作品なので、ここで今さら改めての説明は不要だろうが、

https://bit.ly/2H06Hyl

『危険な場所で』も、筆者にとっては、『夜の人々』(1948)や『大砂塵』(1954)などと並んで、最も好きなレイ映画のうちの1本。御存知アルフレッド・ヒッチコック監督との名コンビでも知られるバーナード・ハーマンの切迫した映画音楽と共に始まる『危険な場所で』は、前半がまるで『ダーティハリー』(1971 ドン・シーゲル)を20年も早く先取りしたかのようなハードで息詰まる刑事アクション、そして後半はガラリと調子が変わって、この上もなく切なくて甘美なメロドラマが展開する、レイならではのダイナミックなエモーションに満ちた傑作。

そして、ジョン・フォード一家の常連俳優の1人であり、この時期、やはりタカ派の反共主義者ジョン・ウェイン共々、実際にハリウッドの赤狩りを推進する役も担ったワード・ボンドが、都会からやってきたロバート・ライアン扮する敏腕刑事を差し置いて、犯人を何とか自らの手でとっ捕まえようと血気に逸った行動に走る被害者の父親の役を熱演している点で、この『危険な場所で』は、その後ボンドが似たような役柄を再演する『大砂塵』の先触れとなった一作とも言える。

さらにはまた、後に『キッスで殺せ』(1955ロバート・アルドリッチ)の脚本も手がけるA・I・ベゼリデスの、都会の刑事ライアンと盲目のヒロイン、アイダ・ルピノの2人を分け隔てる距離を鋭く浮き彫りにする絶妙な台詞のやりとり(「俺は刑事だ。誰も信用しない」「私は盲目だから、皆を信用しなくてはいけないの」等々)が、これまた素晴らしい。

この先これ以上、この場で、『危険な場所で』を正面切って長く論じるだけの元気が、早くも筆者の方で尽きてきたので、ここらでそろそろ切り上げさせてもらって、その代わりに、もう随分以前に書いた同作についての短い文章をここに再掲する次第。

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  • 『危険な場所で』(1951 ニコラス・レイ)

  • 犯罪者たちの蠢く都会の闇夜の喧騒から、舞台は一転して、田舎の山奥の雪降り積もる白銀の世界へ。この目の醒めるような鮮やかな対比のうちに、ハードボイルド映画からメロドラマへの転換がすばやく準備される、実に素晴らしい白黒映画の傑作。仄かに見える光に向かって懸命に目を凝らすアイダ・ルピノの表情の、何とも言えぬ美しさ。そんなどこまでも純真な彼女に、それまで心の荒んでいたロバート・ライアンも、一条の希望の光を見出すのだ。


  • [初出:『男優伝説Ⅱ』(洋泉社 1992)を若干修正した]


[2017.8.6 旧ブログ「In A Lonely Place」にアップ]